2025年11月19日=2418
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算
▽車内の10人
電車の車内で10人を観察したとする。その半分強すなわち5~6人は一体、何をしているでしょうか。正解はこちら。そう、スマートフォンをいじっている。
もちろん離れているから何を見ているかまでは分からない。いや隣でもなかなかそこまでは見られない、個人情報うんぬんの厳しい現代だ。仲間とラインでやりとりしている、検索する、動画を視聴などだろう。わたくしのような昭和びとならばメールもあり得るが、今はスマホでメールする者は少ないらしい。
そして残りの半分つまり2~3人は、寝ている。こちらも眠っているかどうかまでは不明だが、目をつぶっている。
そして最後の1~2人。これがとても興味深い。お顔のメーキャップ、髪を手直し、あるいはネクタイ締め。また何かを読んでいる人。もっぱら本だ。新聞を広げている人はほとんど見なくなった。赤ペン片手にとなると、週末に競馬場やウインズへ向かう列車ぐらいやないか。週刊何とかの漫画雑誌も見かけない。
先述した本だが、こちらは表紙または裏表紙に「○○図書館」とシールが貼られた物が目立ってきた気がする。物価高騰によるのか、いや書籍自体も減っているらしい。さらに言えば書店も。とにもかくにも、彼らはかなり稀な存在だ。
▽富士山なのに
車窓の外を眺めることは昔から大好きやった。これも昨今、眺めている人が少なくなったような気がする。例えば車窓の景色ではナンバーワンの富士山。新幹線に乗車すると静岡県で雄大な富士山が見えてくる。アナウンスも流れる。以前はほとんどの乗客が「にっぽんいちの山」を強い関心を持って見ていた。写真や動画も撮っていた。ところが今ではその富士山に対してもそんなことをするひとの数も少なく、日差しがあると日よけで窓を覆っている。見えるはずがない。
▽スマホがない
しかしもっと希少なひとが最後の最後にまだ居た。それは周りをキョロキョロ見渡している者である。他でもない当人わたくしだ。なにしろスマホを持っていない。
がん再発後、「もう自分には必要ない」と当時持っていたガラケーを手放した。そのときはそう思ったのだが、そこから足し算命を重ね重ねて、2000を超えた。手放したときに想像しなかった不便な生活を思ったより長く続けている。
もちろん途中でガラケーを手放したことを後悔したが、功徳を積んでいるような気もしている。その間に時代は完全にスマホに移行した。スマホデビューすらしたことがなく、遠近両用のメガネを新調したのに相変わらず手元の活字を十分には読みにくい。
▽世知辛い
こんなやつやからこそ、車内を観察するようになっても不思議やない。周りの観察は新発見・再発見にもつながる。発見は己にとって生きがいだ。ただしめったに居ない、まさに絶滅危惧種。
ここで友人に諭された。キョロキョロ見てたら不審人物とみなされ、通報あるいはSNS掲載される恐れありと。確かにそうかも、世知辛い世の中になったものだ。
ところで先日10月下旬にわが書「がんになった緩和ケア医が、本気でホスピスを考えてみた」が出版されました。こちらを電車の空き時間に読んでいただけると甚だ幸いでございます。わがユーチューブらいぶ配信、こちらもしぶとく続けてます。チャンネル名「足し算命・大橋洋平の間」。配信日時が不定期なためご視聴しづらいとは察しますが、気ぃ向かれましたならばお付き合いくださいな。ご登録も大歓迎。応援してもらえると生きる力になります。引き続きごひいきのほど何とぞよろしくお願い申し上げまぁす!!
(発信中、フェイスブックおよびYouTubeチャンネル「足し算命・大橋洋平の間」)
おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、20年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、21年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)、22年11月「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)、25年「がんになった緩和ケア医が、本気でホスピスを考えてみた」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。
このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。









