
父との思い出
昨年末、89歳で亡くなったノートルダム清心学園(岡山市)の渡辺和子理事長が9歳だった小学校時代の作文が手元にある。2015年2月から11月まで、山陽新聞社の朝刊に連載した企画「強く、しなやかに 渡辺和子と戦後70年」(計63回)の取材中にコピーさせてもらった。
<今はもう此の世にいらっしゃらないお父様ですけれど>
こんな書き出しで作文は始まる。いつも膝の上でかわいがってもらった。叱られたことは一度もない。病気の時は枕元で本を読んでくれ、夏になれば「暑くはないか」、冬は冬で「寒くはないか」といつも気にしてくれた。毎朝、2人で散歩しては美しい花を摘んだ…。
父との思い出が、次から次にあふれてくる。
年始客で華やいだその年のお正月のことも記している。招待客にお酌をしていたら、父は笑いながらこう言った。「これが一番末で、中々おりこうなんですよ」と。恥ずかしくて<いやになったこともありましたが、今思えば有りがたく思ひます。私は毎日、お父様の御霊前で、そのことを申し上げて居ます>と作文を締めくくっている。
自らの心情を素直に、しかもテンポ良くつづった作文は、後にベストセラーとなった一連の著作にも通じるだろう。<この文を読んだら誰でも親孝行をしたくなるでせう。それほどこの文には人の心を動かす力がある>。末尾に記された先生の講評は的確で、胸にすとんと落ちる。だが、渡辺さんの心の内奥はどうだったのか。作文が書かれた時期を思うと、今でも複雑な気持ちになる。
心に負った深い傷
「お父様の思出」と題された作文の日付は1936(昭和11)年5月30日。その3カ月前、渡辺さんは父が凶弾に倒れるのを目の前で見ている。兵士たちの怒号が飛び交い、硝煙の臭いが家中にたちこめた。父と一緒に寝ていた部屋は血で染まった。
陸軍の青年将校が企てた二・二六事件だ。父は陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏。ドイツやオランダで駐在武官を務め、第1次世界大戦後の欧州の惨めな姿をつぶさに見てきた経験から「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ」と冷静だった。それが軍国主義に走る将校たちの反感を買ったのだろう。
以後、軍部は政治への介入を強め、完全に方向感覚を見失った国家は日中戦争から太平洋戦争へと突き進んでいく。
そんな軍や政界の動きを少女の渡辺さんが知るよしもなかったが、人の命のもろさ、はかなさは幼心にも強烈に焼き付けられた。
「人が人間の分際を忘れ、一つの主義に走ってバランスを失ったとき、どんなに恐ろしいことが起きるのか。父が身をもって教えてくれたと思います」と"あの日"を振り返りながら渡辺さんは、こうも言っている。「でもね、父の最期にただ一人立ち会えたことを、私は自分に与えられた恵みと思っています」
心に負った深い傷はいつ癒えたのだろうか。そもそも癒えるということがあるのか。加害者への憎しみやわだかまりはどうか。カトリックの修道者となった後も容易に消えはしなかったのではないか―。そんな疑問に対する答えがこれだった。
こう言えるまでの長い苦しみと葛藤の歳月が、信仰と教育に一身をささげた渡辺さんの土台になっていたのだと思う。
反乱軍の遺族という重荷
二・二六事件から50年たった86(昭和61)年夏、渡辺さんは東京・元麻布の賢崇寺であった青年将校らの法要に「節目の年だから」と意を決して参加した。その時初めて、殺した側の遺族が抱える苦悩の深さを知ったという。
襲撃した将校の弟、安田善三郎さん(91)=神奈川県葉山町=は、兄の墓前で手を合わせる修道服姿の渡辺さんを見て涙があふれた。少年時代はいじめに遭うたび兄を憎み、恨んだ。大人になっても反乱軍の遺族という重荷を背負い続けてきたからだ。
安田さんは渡辺さんの著書を精読し、やがて自分もカトリックの洗礼を受ける。お互いの苦しみを分かり合うことでつながった二人の心の交流は、恩讐を越えて最晩年まで続いた。
渡辺さんの学園葬が今年2月12日、岡山市内でしめやかに営まれた。学園が運営する高校、大学などの在校生や卒業生ら約3500人が参加。遺影への献花では1時間以上にわたって長蛇の列が続き、その中には安田さんの姿もあった。
理解が和解を生む
生涯現役を貫いた教壇から直接に、また多くの著作を通じて生きる力をもらった人は数知れない。「力」と言えば、1年近くインタビューさせていただいた中で、現代社会へのメッセージとしてこの言葉も印象深い。
「人間には戦争を引き起こす力があると同時に、平和をつくり出す力があることも忘れてはならないと思います」
その力とは、平和とは。取材ノートから引用すると―。
「相手の話をきちんと聞き、自分の意見をはっきり述べる。何が正しいかを語り合う。その努力を怠らないことです。平和とはただ手に入れるものではなく、そんな日々の暮らしの中から積み重ねていくものではないでしょうか」「相手を知り、理解しようとしなければ、いつまでたっても憎しみは消えません。理解が和解を生むのですね。(将校の法要に参加したことは)父もきっと喜んでくれたと思います」
議論を放棄し、異論を力で押さえつけようとする行為はいつの時代も危険極まりない。テロの脅威がはびこり、憎悪の連鎖が懸念されるいま、「寛容」という言葉が置き去りにされてしまいそうな世界情勢の中で、渡辺さんの言葉がますます重みを増しているように思える。
昨秋、著書の印税で高校生に奨学金を給与する「渡辺錠太郎基金」を創設した。苦しい環境の中で勉学に励んだ父の教育への思いを込めて、基金には父の名前を冠した。「縁あって私が置かれることになった岡山へ恩返しがしたい」と話していた渡辺さん。二・二六事件から80年の節目に心に期す何かがあったのだろう。その第1号となる高校生10人と、図書を寄贈する高校8校が今年1月に決まった。
4月から高校卒業まで月2万円を支給し、図書は各校に約10万円分を寄贈する。渡辺さんの思いが、若者たちに、そして未来に伝わるといい。
(山陽新聞編集委員室次長 国定 啓人)
渡辺和子さん 1927年2月生まれ、北海道旭川市出身。聖心女子大、上智大大学院終了、ボストン・カレッジで博士号(教育哲学)を取得。63年にノートルダム清心女子大学長、90年から学園理事長を務めた。2012年、幸せに生きるとは何かを考えたエッセー「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬社)を刊行、200万部を超す大ヒットを記録。昨年12月30日午後1時15分、すい臓がんのため、岡山市の学園内の修道院で亡くなった。89歳。