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「どうする家康」最終回「神の君へ」王道を貫き、乱世に終止符を打った家康の生きざま【大河ドラマコラム】

「わしが成したいのは、今日、この日のような世かもしれんな」

「ぜひとも、あなた様が作ってくださいませ」

「わしには無理じゃ」

「ただの白兎ですものね」

 12月17日に最終回を迎えたNHKの大河ドラマ「どうする家康」。そのラストシーンに登場した主人公・徳川家康(松本潤)と妻・瀬名(有村架純)のやり取りだ。

「どうする家康」(C)NHK

 大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、長い戦乱の時代に終止符を打った家康は、後を息子・秀忠(森崎ウィン)に託し、一人静かに最期の時を待つ。最終回後半は、その家康の前に亡き妻・瀬名と息子・信康(細田佳央太)が姿を現す幻想的な展開で、家康の最期が描かれた。その流れの中で訪れたラストシーンは、時をさかのぼり、信康と信長の娘・五徳の結婚の日のエピソードだった。これまで何度か家康が話題にしつつも、真相が不明だった「鯉」騒動の一部始終が描かれ、無事に結婚式を挙げた2人を囲み、家臣一同で酒井忠次(大森南朋)の得意芸“えびすくい”を踊る。その多幸感に満ちたにぎわいを眺めながら、瀬名と家康が縁側で繰り広げたのが、冒頭のやり取りだ。

 この2人のやり取りは劇中、さらに次のように続き、全48回の物語は幕を閉じた。

「そうじゃ。だが、この者たちを見ていると、いつの日か、そんな世が来るような気がするの」

「まことに」

「わしは信じるぞ、いつかきっと、そんな世が来ると」

「はい」

「いつか、きっと…」

 家康が求めていたものが、家臣一同との穏やかな日々だったことがわかる。ところがこの場面、台本を元に執筆された小説版『どうする家康 四』(NHK出版)を読むと、本編にはないセリフがある。以下にその箇所を引用する。

「だが、この者たちを見ていると、いつの日かそんな世が来るような気がするのう」

「まことに…」

「よき世とは、誰か一人の力ではなく、一人一人が励んで初めて成せるものなのかもしれんな」

「そうですね…。さすれば、遠い遠い先かもしれませんが、いつかきっと夢のような世が来るでしょう」

「わしは信じるぞ。誰もが認め合い、励まし合い、支え合う…いつかきっと、そんな世がくると」

 映像で伝わると判断したか、時間の都合でカットされたのかもしれない。確かに、その前の鯉騒動で徳川家臣団の結束と家康に対する信頼は十分伝わるので、その判断は間違っていなかったと思う。(ちなみに、完成作品のラストシーンには、この言葉がない代わり、家康と瀬名の視線の先に、現代の東京の風景が見えていた。)その上で、このせりふを読んでみると、平和な日々は、決して誰か一人の力で手に入るものではないと改めて語っている。

 一方、劇中にはこれと対になる言葉も登場している。それが、茶々の最期のシーンだ。大坂の陣で家康に敗れた茶々(北川景子)は、自刃する際、こんな言葉を残している。

 「日ノ本か…つまらぬ国になるであろう。正々堂々と戦うことをせず、万事長き物に巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみねたみ、あざける。…やさしくて卑屈な、か弱き者たちの国に。…己の夢と野心のために、なりふり構わず、力のみを信じて戦い抜く!…かつてこの国の荒野を駆け巡った者たちは、もう現れまい」

 さまざまな解釈が可能だが、力による天下統一を是としているようにも読み取ることができ、前述の家康の言葉とは対照的だ。

 この2人の言葉を目にして、ふと思い出したことがある。第1回「どうする桶狭間」で、今川義元(野村萬斎)から「王道と覇道は知っておるな」と問われた際の家康の答えだ。この時、家康は次のように答えている。

 「武を持って治めるは覇道!徳を持って治めるのが王道なり!」

 さらにこの後、義元は重ねて「織田信長という男、戦を好み、まさに悪しき覇道を進む者と見るが、そなたはどう思う?」と尋ね、家康は「仰せの通りと存じまする。(中略)覇道は王道に及ばぬものでございまする」と答えている。

 これを踏まえて家康と茶々の最期の言葉を振り返ってみると、信長の血を引く茶々の言葉はまさに「覇道」、そして家康の言葉は「王道」に通じるように思えてくる。

 振り返ってみれば、信長や秀吉と同盟を結び、共に戦った家康だが、それは乱世を生き抜くための手段に過ぎず、「覇道」をゆく彼らのやり方を認めていたわけではなかった。数々の困難に直面しながらも、決して「王道」を外れることなく、それゆえ「どうすりゃええんじゃ!?」と葛藤や苦悩を繰り返した末、乱世に終止符を打ち、太平の世を開いた。それが「どうする家康」における徳川家康の生きざまだったのではないだろうか。そして、その生きざまを、年齢による変化を織り交ぜながら、1年かけて見事に演じ切った松本にも拍手を送りたい。

(井上健一)