エンタメ

山時聡真、中島瑠菜「倉敷の景色や街並みや雰囲気が、僕たちの役を作ってくれたという気がします」『蔵のある街』【インタビュー】

-この映画の主役は倉敷という街とそこに暮らす人たちだと思いましたが、演じながらそういうことは感じましたか。

山時 僕たちのお芝居がどうこうというよりも、本当に倉敷の景色や街並みや雰囲気が、僕たちの役を作ってくれたという気がします。これは自分たちからチューニングしていったわけではなくて、勝手に溶け込んだという印象があります。なので、方言など基本的な練習はしましたが、あとは特に何もしなくても自然に街の中に入っていけた感じがします。それは地元の皆さんとのコミュニケーションも含めて、3週間の撮影の中で作り上げていったものだと思います。

中島 私もそう思います。蒼が(紅子の兄で自閉スペクトラム症の)きょんくんのために上げてくれた花火が、結果的には倉敷の皆さんに向けて何か心を動かすきっかけになったのではないかと思うので、それを含めると、やっぱり蒼たちだけの物語ではなくて、倉敷全体の話だとすごく思いました。

-方言は大変でしたか。

山時 大変でした。やはり普段は言わない言葉なので、滑舌も含めて、かまないように何回も練習しました。ただ、撮影の休み時間も自然に方言が耳に入ってくるので、だんだんなじんできました。倉敷出身の前野(朋哉)さんと高橋(大輔)さんのせりふを聞いて、これが本当のイントネーションなんだと思い、その都度意識して変えていました。

中島 難しかったです。私は熊本出身なので、若干言葉が似ている部分もあったんですけど、熊本寄りにならないようにというのはすごく意識しました。何か方言っぽくしようとするとかえって違ってしまうような感じがしました。監督が倉敷出身なので、いろいろと聞いたり、教えていただいたりしました。

-完成作の印象はいかがでしたか。

山時 前野さんもおっしゃっていましたが、花火を映画館で見ることに意味があると思いました。全部をつなげて見た時に、倉敷だけではなくて、どんな街にも希望を与えることができる温かい作品だと思いました。

中島 オール倉敷ロケで、一つの街で撮り切っているので、どの地域の人が見ても、地元に帰りたくなるような、共感できるものがあると思いました。私も熊本に帰りたいと思いましたし、自分の故郷を思い出したり、懐かしめる映画だと思います。

-最後に、これから映画を見る人たちや読者に向けて一言お願いします。

山時 この映画を見て、学生時代に単独やチームで成し遂げたことを思い出すだけでもすごく意味があると思いますし、別にそういう経験がなくても、今、何か壁を破りたいと思っている方がいたら、その背中を押せるきっかけにもなると思います。そういうことも感じてもらいたいですし、それを誰かに広げてもらうのも意味があるので、いろんな人につないでいってもらえたらと思います。

中島 私はこの映画を見てすごく勇気をもらいました。誰かがこうやって助けてくれたり支えてくれて、決して1人じゃないみたいな気持ちになれると思います。子どもも大人もみんな支え合えるし、ちゃんと伝えようと思えば伝わると感じてもらえたらと思います。親子ででもいいですし、何回でも見てほかの人にもバトンをつないでいってもらえたらと思います。
(取材・文・写真/田中雄二)

(C)つなぐ映画「蔵のある街」実行委員会