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3.11後も日本にとどまった米歌手シンディ・ローパー 当時の奮闘ぶりを捉えたNHK「アナザーストーリーズ」が3月10日に放送

2011年3月16日東京・渋谷オーチャードホールでの東京公演初日でのシンディ・ローパー Photo By Yuki Kuroyanagi
2011年3月16日東京・渋谷オーチャードホールでの東京公演初日でのシンディ・ローパー Photo By Yuki Kuroyanagi

 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生した。米歌手シンディ・ローパーは日本公演のため機中の人だった。着陸態勢だったと思われるが、その後上空で旋回。成田空港着の予定だったが、到着地が二転三転したらしく、シンディは機内からメールでアメリカにいるツアーマネジャーとやり取りを繰り返した。

 結局、着陸地が羽田空港に決まったのが午後9時ごろで、その30分後に羽田着。羽田に着いたシンディを迎えにいった車は大渋滞にぶつかって全く動くことができずに、シンディが結局、ホテルに着いたのは午前4時ごろだったという。

 ソニーミュージックの白木哲也(しろき・てつや)さんによると、3月13日のインタビューでシンディは次のように語っていた。「ちょうど飛行機に乗っていたので何が起こっているのかわかりませんでした。空港やホテルで、毛布をかぶった人たちがたくさんいて心が痛みました。部屋でTVをつけたら、本当にすさまじい状況になっていることがわかりとてもショックでした。私にできることは音楽。私の歌で少しでも勇気を、少しでも元気を与えることができるなら、それが私の仕事だと思っています。日本はRISING SUNの国。自らを信じて立ち上がりましょう。ガンバッテ!」

 多くの外国人が帰国をする決断をする中、シンディは日本に残った。「帰国するなんて考えられなかった。だって愛する日本の皆さんがこういった状況にある中、何とかしなければと思う。明日の夜CNNに出るので、海外の人々へも訴えていきたい。少しでもいいので、皆さんに募金をしてもらいたいという気持ちでいっぱいです」

 「そして、いろいろな国の人々がそういった活動に協力してくれれば、たくさんの募金が集まると思いますし、それが直接困っている人たちに届けられる。とにかく私はできることは何でもやりたいと思っています。今、私はこういった時期の日本にいるのですから。そして私のキャリアの中で多くの時間を日本で過ごしました。私にとって本当に大切な国で愛する国なので、できる限りのことを、とにかくやりたいと思っています」

 3月15日に日本ツアー初日の名古屋公演を迎えた。ソニーミュージックの白木さんは当時の日記に記した「シンディの歌が力を与えてくれました。音楽の持つ意味とは何なのか。それを感じさせてくれたシンディのライブ。こんな日本が大変な時になんでライブをやるのか?とかいろいろなことを言う人もいた。でも日本から逃げ出す人も多い中、シンディはあえて残ってくれた。自分にできることは音楽。だから音楽で力を与えたいと」。

 「とてつもなく感動的だった」名古屋公演で、シンディはアンコールの3曲を含めて全15曲を歌い上げた。「客席へ何度も降りて行き、椅子に登っては立ち上がり、会場中が一つになっていくさまは本当にすごかった」(白木さん)

 最後の「トゥルー・カラーズ」のあと、シンディが「私のオールド・ヒーロー」と呼ぶジョン・レノンの曲である「パワー・トゥ・ザ・ピープル」の一節をもじって、「Remember Power! Remember Power! Power to the People!!」と叫んで終了した。会場の誰かが大声で「ありがとうシンディ」と叫んだ。
 終演後、静岡で地震が発生。悩ましい事態が続いた。

 3月16日は東京公演初日だった。最後の曲「トゥルー・カラーズ」の前にシンディは一言―「日本人はストロング・ピープルだから、今起きている悲劇も必ず乗り越えられるはず。みんなで信じよう。一人一人の心の中に強さがあるのだから」。

 3月17日は東京公演2日目。終演後のロビーでは多くの人が「よかった」、「感動した」、「元気と勇気を与えてもらった」と口々に話していた。多くの人が義援金を募金していた。白木さんは「一生きっと忘れないだろうなあ、と思えるライブだった」と記した。

 そして3月18日の東京最終公演では「サプライズ」があった。ライブが終了した後に会場のオーチャードホールのロビーにて、音楽評論家・作詞家の湯川れい子さんの呼び掛けで、芸能人の有志の方々が募金箱を持って義援金を募った。長蛇の列ができた。

 テリー伊藤さん、デーブ・スペクターさん、京子さん、相川七瀬さん、平尾昌晃さん、森口博子さん、クミコさん、イルカさん、スポンテニアのMASAさん、そして今回シンディのステージで共演を果たしたフリューゲルホーンの第一人者TOKUさんなど皆さんが声掛けして募金を呼び掛けた。そこへなんとシンディ自身も登場し、大歓声で迎えられ参加した。

 3月21日と22日は大阪公演だった。21日のハイライトは「タイム・アフター・タイム」が終わった後、前方のお客さんが「シン!」と声を掛けて、手紙とプレゼントのようなものを。それを読んだシンディはその贈り物を受け取ると、それは日の丸の国旗だった。

 シンディは日の丸を羽織ると、場内は大歓声に包まれた。日の丸を羽織ったまま「シャイン」を歌い上げたのだ。そのまま次の曲のイントロが流れるとまた歓声が沸き起こる。マービン・ゲイが反戦のメッセージを込めた「ホワッツ・ゴーイング・オン」だった。

 「今回のツアーのリハでも一度もやっていなかった曲で、その場で急遽やろうと思ったのだろう・・・日の丸も偶然なら、『ホワッツ・ゴーイング・オン』も偶然。何のお約束ごとでもなんでもなく自然の流れだった。偶然のマジック。ちょっと涙が出るほど感動的だった」と白木さんは日記に記した。

 3月22日の大阪公演は、急遽シンディの強い希望でニコニコ動画で生中継することが決まった。「愛する日本のファンの皆様のために、できるだけ多くの方々に届けたいということで、ネットでライブ中継できないかという話になり、急遽ニコニコ動画での生中継配信が実現した」(白木さん)

 最後の日本の夜はホテルのバーでシンディ一行は一杯やっていた。シンディは何か日本の食べ物を食べたいと思ったそうで、部屋にいた白木さんのところに連絡があった。シンディがご所望の食べ物はなんと「さきいか」と「枝豆」だった。

 枝豆がなかったので、白木さんは「チーズタラ」を買っていった。シンディは「チーズと魚を組み合わせるなんて、なんてアメイジングな食べ物なの!」と喜んでくれたという。しかも、シンディは店の人に「マヨネーズと七味」を持ってこさせた。なんと通な!!

 シンディは「私にとって忘れられないライブになった。日本のファンのみなさんは本当に真剣に音楽を聴いてくれるし、いつもみんな親切で温かく迎えてくれるから、私もいつも力を与えてもらっているのよ」と力を込めて語っていたという。

 そんなシンディの2011年の来日公演の模様が取り上げられるNHK『アナザーストーリーズ 運命の分岐点「東日本大震災 踏みとどまった外国人たち」』が3月10日(金)午後10時から放送される。大震災から12年。当時日本に残ってライブを敢行し、われわれを勇気づけてくれたシンディの感動的な奮闘ぶりを再び!