ワインを飲むことで貴重な草原環境を応援? シャトー・メルシャン 椀子ヴィンヤードのちょっといい話

「ワールド・ベスト・ヴィンヤード2020」で世界第30位に選ばれた「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー」
「ワールド・ベスト・ヴィンヤード2020」で世界第30位に選ばれた「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー」

 世界最高のワイナリーを選ぶアワードで30位にランクイン

 この“快挙”はもっと広く知られてもいいのではないだろうか。
 ワインツーリズムに取り組む世界最高のワイナリー(ワイン醸造所)を選ぶ『ワールド・ベスト・ヴィンヤード2020』で、日本のメルシャン(株)が運営する「シャトー・メルシャン 椀子(まりこ)ワイナリー」が30位にランクインしたのだ。ワインの本場フランスだけで数万、全世界には数十万あるといわれるワイナリー。その中の30位に、世界的にまだ認知度の高くない日本のワイナリーが選ばれたのだから、これはまさに快挙である。ちなみに、アジアでは最高位だ。
 『ワールド・ベスト・ヴィンヤード』は、世界最高峰のワイン・コンペティション「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」(IWC)を主催する英国のウィリアム・リード社が主催するアワード。世界各国の500人以上の専門家が、ワイナリーでのツアー内容、テイスティング、雰囲気、ワインの品質、食事、スタッフ、景観、コストパフォーマンス、名声や立地など多岐にわたる項目をチェックする。2020年は、1800以上のワイナリーがノミネートされ、ベスト50を選び出した。
 椀子ワイナリーは、日本最古の民間ワイン会社をルーツに持つメルシャンが、20199月に「日本を世界の銘醸地に」というビジョン具現化の1つとしてオープンしたばかりの新しいワイナリー。長野県上田市の陣場台地に位置する、広大な椀子ヴィンヤード(ブドウ畑)の中にあり、小高い丘の上に瀟洒(しょうしゃ)な姿で建っている。

椀子ヴィンヤードでは、シャルドネ、メルローを主体とした8種類のブドウ品種を栽培。約29ヘクタールの広大なブドウ畑は今後も拡大される予定
椀子ヴィンヤードでは、シャルドネ、メルローを主体とした8種類のブドウ品種を栽培。約29ヘクタールの広大なブドウ畑は今後も拡大される予定

 生態系調査で見つかった、絶滅危惧種を含む多くの生物

 世界中の専門家から「旅行者にワインに関連する素晴らしい体験を提供できる」と認められた椀子ワイナリーの椀子ヴィンヤードには、もうひとつの顔がある。地域と共生しながら、豊かな自然環境を復元する試みに挑戦するチャレンジャーの顔だ。
 実は、椀子ヴィンヤードはかつて遊休荒廃地だった場所。それを地域の協力を得て、2000年ごろから3年かけてブドウ畑に造成した。メルシャンが属するキリングループでは、2014年から専門家を招いて椀子の生態系調査を行っているが、その結果、昆虫168種、植物288種と多くの生き物が見つかった。なかには、スズサイコ、メハジキ、ユウスゲといった国レベルの希少種の植物や、絶滅危惧種のチョウ、オオルリシジミの唯一の食草であるクララも発見されている。昆虫では、環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類に指定されているウラギンスジヒョウモン、環境省と長野県のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されているベニモンマダラが見つかっている。

希少種

 椀子の生態系調査に携わる、国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の楠本良延先生は、椀子ヴィンヤードで多様な生物が見つかる理由をこう語る。

椀子ヴィンヤードの生態系調査や植生再生活動を指導する農研機構の楠本良延氏
椀子ヴィンヤードの生態系調査や植生再生活動を指導する農研機構の楠本良延氏

 「ひとつは草原環境だということです。草原は、単位面積当たりでは、森林や湿地と比べて多くの絶滅危惧種を育んでいます。しかし、130年前までは国土の30%もあった草原が、いまや国土の1%以下です。ワイン用のブドウ畑は、その貴重な草原環境なのです。食用ブドウの棚式栽培と違って、垣根式栽培の椀子ヴィンヤードでは、土壌が流れ出ないように下草を積極的に生やしています。そして定期的に下草刈りをするなど適切に管理しています。人の手が入ることで、ブドウ畑が生物多様性の高い草原環境として維持されているんです」

垣根式のブドウ畑は、適度に下草を生やすことで、貴重な草原環境になっている
垣根式のブドウ畑は、適度に下草を生やすことで、貴重な草原環境になっている

 希少種を含む多くの植物が確認できたことを受け、キリングループでは2016年から毎年、グループの従業員による希少種・在来種の植生再生活動に取り組んでいる。ブドウ畑や周辺で生育している植物が秋になって枯れ始めると、鎌で刈り取り、種を含むそれらの草を貧弱な場所に運んでまくというシンプルな方法だ。植物を引き抜いて植え替えるわけではないので、自然にダメージを与えない優しい方法でもある。この活動で、在来種は着実に増えているという。

キリングループでは従業員参加による植生再生活動を2016年秋から行っている
キリングループでは従業員参加による植生再生活動を2016年秋から行っている

 NGOボランティアの協力でクララ再生活動

 そしてキリングループでは、もうひとつ興味深い植生再生活動にチャレンジしている。絶滅危惧種(環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅰ類)のオオルリシジミの幼虫が唯一、食草とするクララの再生活動だ。クララはマメ科の植物で、根をかむと目がくらむほど苦いのがその名の由来だといわれている。漢方薬としても使用されるが、用い方によっては毒にもなる草だ。クララ再生活動の指導にもあたる楠本先生に、その目的をうかがった。
 「オオルリシジミというチョウは、いまは日本でも長野と阿蘇にしか生息していません。本州では群馬や新潟にもいたんですが、近年は確認されていません。それくらい非常に貴重です。残念ながら椀子ヴィンヤードでは確認されていませんが、椀子から数キロ離れたところにある東御市(とうみし)には自生しています。
 そのオオルリシジミの幼虫が唯一食べるクララが、上田市、特に椀子ヴィンヤードの周りには点在しているんです。クララは刈取りなどで維持される草原環境でしか増えませんので、減らないように保全していく、できれば増やしていくことで、貴重なオオルリシジミが椀子にもやってくるかもしれない。そんな夢を描いています」

オオルリシジミの唯一の食草となるクララ
オオルリシジミの唯一の食草となるクララ

 クララ再生活動で注目したいのは、クララ再生にNGOアースウォッチ・ジャパンとそのボランティアの皆さんもチャレンジしているということだ。「アースウォッチ」は、環境問題に取り組む第一線の研究者が行う調査に、一般市民が環境ボランティアとして参加する機会を提供している国際的な環境NGOである。
 具体的なクララ再生プランは、椀子に自生しているクララの枝を挿し穂として取り、それを自宅や職場などで挿し木して育てるというもの。1年ほど育てると、ポット(鉢)の中に根が充満して成長するので、大きくしてまた椀子ヴィンヤードに戻そうという試みである。
 2019年の6月、約10人のNGOボランティアが楠本先生の指導の下、椀子でクララの挿し穂取りを行い、自宅や職場に持ち帰った。そして室内や庭で育て、2020年の春に椀子ヴィンヤードに戻す予定だったが、コロナ禍の影響で1年延期になり、現在(2020年秋)も栽培は継続中である。希少な植物を栽培するという経験はどういうものなのか。チャレンジを行っているボランティアの方お二人にお話をうかがってみた。

 「愛着が湧いているが、椀子に戻すまでやり遂げたい」

 高校で英語の先生をされている永井真紀子さんは、クララを学校の屋上で育てているという。どういうきっかけでクララ再生に応募したのだろうか。
 「私が勤務している実践学園では、学校の屋上に土を入れて、武蔵野の自然を再現する“実践の森”と農園を作っています。2010年には環境大臣賞もいただいた緑化プロジェクトですが、そこで活動する生徒のサポートをしていることもあって、環境保全に関心を持つようになりました。アースウォッチのホームページで、キリンさんが椀子ヴィンヤードの植生の保存をやっていることを知って申し込みましたが、ヴィンヤードにオオルリシジミを連れて来るという夢は、その時知りました」

 クララ栽培は簡単ではなく、失敗したボランティアの方も少なくないようだが、永井さんのクララはすごく立派に育っている。どんなコツがあるのだろうか。
 「学校の屋上に植えたので、遮るものもなく太陽の光をたっぷり浴びてよく育ったのだと思います。楠本先生からは、ベランダや室内での鉢植えは雨が直接当たらないので水やりに手がかかりますが、外に植える場合は何もしなくて大丈夫ですよと言われたんです。夏の間も様子は見に行きましたが、自然に雨が降るのに任せただけなのに、しおれたりする様子はありませんでした。本当に特段何もしていないんです」

 クララという希少な植物を1年近く育ててみた感想を永井さんに聞いてみた。
 「アースウォッチの活動に参加すると、みんな、『この子は・・・』と生き物を擬人化して呼ぶようになってしまうんですね。不思議ですけど。私も『クララさん・・・』と呼んでいました。愛着を感じてはいますけれど、戻しに行くまでが活動なので、最後までやり遂げたいなと思います。
 学校で理科の先生にクララを育てているという話をすると、生徒たちにクララを見せて絶滅危惧種のチョウが来るんだよと教えられるので、ありがたいですと言われました。たまたま参加したボランティア活動でしたが、生徒たちにそういう機会を提供できたのはクララのおかげだなと感謝しています」

永井さんが育てているクララの成長過程
永井さんが育てているクララの成長過程

 「育てるのに試行錯誤したが、クララは面白い植物」

 もうお一人、カシオ計算機に勤務している五十嵐和典さんは、どういう理由でクララ再生活動に参加されたのだろうか。 
 「日本ワインが好きだったので、単純に椀子ヴィンヤードに行ってみたいと思いました。椀子ヴィンヤードにひかれて参加してみたところ、クララに出会ったというのが正直なところです。椀子では、ブドウ畑の美しさに感激し、楠本先生のような研究者の方に楽しく自然環境を学べたのがうれしかったです」

 だが、実際にクララを育て始めてみると試行錯誤の連続だったようだ。
 「楠本先生からは、農研機構でも定着率は6割程度と難しいミッションなのであまり気負わずにチャレンジしてみてくださいという言葉をかけられていたので、失敗して元々という気持ちでした。それでも、日毎にどんどんしおれていき枯れてしまった時は、寂しい気持ちになりました。
 楠本先生から苗を分けてもらって2度目の挑戦をした時も、正直、また枯らしちゃうかもと思ったりもしました。ネットで検索しても誰も栽培なんかしていないので、何も情報がない中で、みんなで試行錯誤しながら、仲間と情報をやり取りできたことはずいぶん助かりました。
 2度目は順調で、6月には大きな鉢に替えるほど育ちました。楠本先生からは、元は自然に生えていた草だからそんなに弱くはないよとは言われていました。水を切らさないように注意する以外は、あまり神経質にならずに成長を見守っていた感じです。8月には二つ目の芽も出て、ここまで育ったのは、何が良かったのか自分自身でもよくわかりません」

 1年近くクララを育ててみて、今はどんなことを感じているのだろうか。
 「葉っぱが光を求める感じで上向いたり下向いたりと、1日のうちで動きが結構あって、目に見える変化があるので、面白い植物だというのは自信を持って言えます。農研機構も自宅で育てる実験はしたことがないというので、いろんな環境でどんな風になるのか、いろんな事例を作ってみようというのはチームの共通認識でした。そういう意味では事例をひとつ増やせたのかなと。
 預かり物ですから、きちんと椀子にお返ししたいなという思いは強くあります。もう一度冬越えをしなければならないので心配ではありますが、楠本先生がおっしゃるようにおおらかな気持ちで向き合いたいなと思っています」

五十嵐さんが育てているクララの成長過程
五十嵐さんが育てているクララの成長過程

 大切なのは草原の植物を身近な状態で残していくこと

 お二人の話から伝わってくるのは、試行錯誤しながら珍しい植物を育てた奮闘ぶりと、クララに対する愛着を持ちながらも椀子に戻してあげねばという使命感だ。楠本先生は、ボランティアがクララ再生活動に参加する意義をどう考えていらっしゃるのだろう。
 「地域の方々やボランティアの皆さんが苗を育てたり冬越しをしたりすることで、草原を自分たちで守っているということをダイレクトに感じてもらえますよね。いつか自分が育てて椀子ヴィンヤードに戻したクララが根付いて、草原って大事なんだということを伝える伝え人になってくれればいいなと思うんです。それによって、より自然に関心を持つ人が増えることが大切です。クララは草原の植物たちのアイコンのようなもの。オオルリシジミはあくまでもその先の夢です。絶滅危惧種を守ることも大事ですが、絶滅危惧種になってからでは遅いんです。クララは絶滅危惧種ではありませんが、地域によっては希少種です。そういう、かつては身近にたくさんあった草原の植物をちゃんと身近な状態で長野の上田という地域に残していくことで、生物多様性の核になるといいなと思っています」

10月に椀子ヴィンヤードでブドウの収穫を手伝った後、楠本先生に椀子の植生についてレクチャーを受ける、キリングループの社員ボランティアの皆さん
10月に椀子ヴィンヤードでブドウの収穫を手伝った後、楠本先生に椀子の植生についてレクチャーを受ける、キリングループの社員ボランティアの皆さん

 キリングループは、長期戦略「キリングループ長期環境ビジョン」を策定し、以前から環境に配慮した事業を展開してきた。しかし、環境に関する世界の動向は、近年劇的に変化している。そこでキリングループでは従来の環境ビジョンを見直し、2020年に新たな「キリングループ環境ビジョン2050」を策定。自社で完結するだけでなく、自社の枠組みを超えて社会にポジティブなインパクトを与えることを目指している。たとえば、持続可能な農業による豊かな生物多様性への貢献を調査・研究し、原料生産地に展開することもその一つだ。あるいは、キリングループが上田市と締結した「ワイン産業振興を軸にした地域活性化に関する包括連携協定」の一環で、地域の子どもたちへの環境教育を行うことも含まれるかもしれない。
 農研機構と協力し、NGOのボランティアや地域の人々を巻き込んだ、椀子の植生再生活動は、まさに自社の枠組みを超えて社会にインパクトを与える取り組みだ。椀子ヴィンヤードから生まれるワインを飲むことは日本の貴重な草原環境を応援することにつながると、一人でも多くの消費者に知ってもらうこと。それも、広い意味で社会にポジティブなインパクトを与えることになるだろう。
 そしていつか、椀子ヴィンヤードのブドウ畑がさらに広がり、草原環境がさらに豊かになり、クララがもっと増えたとき、もうひとつの“快挙”が椀子で実現し、社会に大きなポジティブインパクトを与える日が訪れるかもしれない。

(左)椀子ワイナリーには、10種類程度のグラスワインが楽しめるテイスティングカウンターと、地域限定・ワイナリー限定などの希少なワインが購入できるワインショップも用意されている (右)「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー」には、広大なブドウ畑と自然の壮大な景観を楽しめるテラスが。趣向を凝らしたワイナリーツアーも用意され、観光にもお勧め
(左)椀子ワイナリーには、10種類程度のグラスワインが楽しめるテイスティングカウンターと、地域限定・ワイナリー限定などの希少なワインが購入できるワインショップも用意されている (右)「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー」には、広大なブドウ畑と自然の壮大な景観を楽しめるテラスが。趣向を凝らしたワイナリーツアーも用意され、観光にもお勧め