未来世代がはばたくために何ができるかを考えるプロジェクト「はばたけラボ」。食べること、くらすこと、周りと関わること、ワクワクすること・・・。今のくらしや感覚・感性を見直していく連載シリーズ。今回は、弁当作りを通じて子どもたちを育てる「弁当の日」の提唱者・竹下和男(たけした・かずお)先生が、思春期を迎えた子どものうそについて答えます。
中学1年生の小さなうそ どこまで見逃すべきでしょうか?
【質問】
中学1年生の息子がいます。電車で中学校へ通っているのですが、先日帰りが遅かったので、帰宅後に「どうしたのか」と尋ねたところ、「帰る途中で遠くの駅まで寝過ごしてしまった」と答えました。しかし、私はその時、息子のGPSを見ていて、寝過ごしたという方向とは反対側にある繁華街にしばらく滞在していたように見えました。その時は、息子の答えを「ふうん・・・」と受け流したのですが、このような場合、正直に話すまで問い詰めるべきなのでしょうか。
▼うそには善悪二種類ある 親の倫理観を伝えて
【竹下和男先生の回答】
うそには善意と悪意の二通りがあります。善意のそれは、友だちを傷つけないためだったり、母親を心配させないためだったり、誰かのためにつくうそです。悪意のそれは、自分の利益を守るためや罰から逃れるためで、自分のためにつくうそです。善意のうそは社会生活で対人関係の潤滑油的な役割をするので、うそ=悪でないこともあるのです。
思春期の子どもは、親の知らない自分の世界(つまり秘密)を広げていきます。それは人格形成に必要なステップですから、親の監視や過干渉で暴かれるのを嫌います。だから逐一問いただすのではなく、間を置くことに意味があるのです。その後に困ったことが起きていないのなら、息子さんの答えも、親が「ふうん・・・」と受け流したのも、ともに善意のうそをついたになるという解釈もできます。
「子どもの人格と人権を尊重して放任主義で育てました」という親の子どもが健全に育っているケースがありますが、その家庭では、常日頃から親が背中(生き方)で“良い子育て”をしているのです。社会人として無責任な生き方をしている親が放任主義をとるのは単なる育児放棄で、子どもは無責任な大人に育ちがちです。
この数十年間で急速に物が豊かになったり、ITなどの技術が向上したことが原因で、善悪の判断力が十分に育っていない子どもさえ、喫煙・飲酒ばかりか違法薬物乱用や性犯罪等にまで、簡単に巻き込まれる社会になりました。だから、子どもの安全を気遣う親の姿勢は、子どもの将来を大切に思っている親心を子どもに伝える方法になります。
息子さんの答えを否定するGPSの情報がなければ、母親はここまで深刻に悩まなかったはずです。でも2回目、同じことがあったときはすぐに「帰りが遅いからGPSをみたら繁華街の方に行ってたようだけど・・・」と問うてください。親はわが子が悪に染まることを心配する存在であることをしっかり伝えることが大切です。さらに、お父さんがタイミングを見て「お母さんが随分心配していたぞ」程度の声掛けをするといいです。
夕食時に家族がそろっていれば、テレビに映る事件や事象についての親の感想をつぶやいてください。加害者への「許せない」や、被害者への「かわいそう」、親切な人に「やさしいね」などのコメントから、両親の倫理観を子どもは身につけていけます。「親に叱られたくない」より「親を悲しませたくない」の方が、子ども自身で非行から遠ざかる力になると思います。
竹下和男(たけした・かずお)/1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。
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