カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】マイケル・ジャクソンとジョージ、そしてポールとの関係

「セイ・セイ・セイ」の国内盤裏ジャケットで微笑むポールとマイケル。
「セイ・セイ・セイ」の国内盤裏ジャケットで微笑むポールとマイケル。

 マイケル・ジャクソンは、ポール・マッカートニーと会って音楽制作など仕事上のアドバイスを受ける1年半以上も前に、ジョージ・ハリスンと顔を合わせ、指南をされていた!? このほどBBCが公開した1979年2月9日放送のラジオ番組「ラウンドテーブル」の音源が、共演した2人のアーチストの興味深い会話に焦点を当てている。

 当時のマイケルは21才。5枚目のソロ・アルバム『オフ・ザ・ウォール』のリリースを控え、本当のビッグになる前だった。エピックからの新譜には、彼自身モータウン時代は許されなかった自作曲が含まれ、ポールの楽曲「ガールフレンド」もカバーする。

 マイケルが「ビートルズは最初からずっと自分たちで曲を書いていたのかい?」と問うと、ジョージは「ああ。ジョン(・レノン)とポールは、ぼくらがレコード制作を始めるずっと前から、そうしていた」。するとマイケルは「どうやってそれらを管理したのだい?」と問い、ジョージは「さあ、わからない。賢い奴がいたのだろう」。

 番組では新譜にコメントをしていくコーナーがある。

 まずフォリナーの「ブルー・モーニング ブルー・デイ」。マイケルは同曲を聴くと「これには君が興味を持つかもね」。さらに、ニコレッタ・ラーソンの新曲、ビートルズの「レディ・マドンナ」のレニー・ホワイトによるカバーも取り上げられた。

 ジョージはまず一言「ぼくはファブ・フォーのバージョンのほうが好きだな」。

 ジョージはカバー・バージョンのメリットについて語り、彼自身がレイ・チャールズを念頭において「サムシング」を書いたのだという話を披露した。実際、「サムシング」が世に出るや、150曲以上のカバーが登場した。「ただチャールズのカバーには本当にぼくはがっかりさせられた。古臭く感傷的、そんなふうに彼はカバーしたのだ」。

 するとマイケルは「あなたがあの曲を書いたの? おおおぉ~、知らなかった。ぼくはレノン=マッカートニーの作品だと思っていた」。

 ジョージは「ああ。みんなそう考えている」。

 デイブ・エドモンズの「A1 オン・ザ・ジュークボックス」という曲も取り上げられたが、ジョージは「エヴァリー・ブラザースの『ウォーク・ライト・バック』のスピードをちょっと上げた感じの曲だね~。ただし優れたブリッジ部分を除くけれど」。

 70~71年の大ヒット曲「マイ・スウィート・ロード」がのちに「潜在意識における盗用」だとして敗訴したこともあるジョージだけに、注目される反応だった。ジョージ自身、法廷で曲を切り刻まれて「専門家」たちに「分析」された過去がある。

 ジョージとマイケルの出会いの数カ月後、後者の『オフ・ザ・ウォール』がリリースされ、世界中で爆発的な売り上げを記録。同アルバムから「今夜はドント・ストップ」、「ロック・ウィズ・ユー」という米ビルボードPOP・R&Bチャートの1位が生まれた。

 そんな中、マイケルは第二のビートル―ポールとのコラボに熱を入れた。81年のクリスマスから新年にかけてと、82年早々および春ごろの、計3回にわたって、ロンドン郊外のポールの自宅と、スコットランドのマル・オブ・キンタイヤにあるポールの農園を訪ねるなどして、ポールとともに作曲の勉強に励んだといわれる。

「ガール・イズ・マイン」の国内盤ジャケット(エピック・ソニー)。
「ガール・イズ・マイン」の国内盤ジャケット(エピック・ソニー)。

 ポールは、83年のアルバム『パイプス・オブ・ピース」のスーパー・デラックス・エディションのライナーノーツによれば、次のように語った。「マイケルはビッグだったけど、真にビッグになるのはまだ先の話だった。ぼくと会った時、彼は『オフ・ザ・ウォール』を出していたけど『スリラー』はまだだった。彼にとってはまだ初期の時代だったのだ。だからお互いに有益だったし楽しかった。そこが重要な点だった」。

 その成果は、マイケルの『スリラー』(82)からの先行シングルとして米チャート2位まで上昇した微笑ましいデュエット曲「ガール・イズ・マイン」、ポールの『パイプス・オブ・ピース』からのシングル「セイ・セイ・セイ」(全米1位――2人が共演したプロモーション・ビデオも話題に)と同アルバム収録曲「ザ・マン」、に結実した。

「セイ・セイ・セイ」の国内盤ジャケット(東芝EMI)。
「セイ・セイ・セイ」の国内盤ジャケット(東芝EMI)。

 ポールが悔やまれる(?)アドバイスをしたのもこのころだと思われる。ポールは知人のランチに誘われており、一緒にいたマイケルも同行。ランチを食べ、マイケルがトイレに向かった。ポールはちょうど戻って来るところで、廊下で静かに話したという。マイケルは「ポール、僕に何かアドバイスはないかい? 君のアドバイスがほしいんだ」。

 それに対しポールは言った「音楽出版に手を出せ」。マイケルはポールのほうを見て、「君の曲を手に入れてやる」と言って二人で笑った(前述のライナーノーツ)。

 85年8月、ポールはマネージャーから、ジョンの未亡人ヨーコ・オノと新たな共同入札に乗り出そうとしていた彼の機先を制して、マイケルが実際に、ノーザン・ソングスが所有するレノン=マッカートニー作品のカタログを買収したと聞かされた。(ピーター・ドゲット著「ザ・ビートルズ解散の真実」イースト・プレス)。

「ガール・イズ・マイン」の国内盤ジャケット(エピック・ソニー)。
「ガール・イズ・マイン」の国内盤ジャケット(エピック・ソニー)。

 4千750万ドルで購入されたという。

 ポールは言う「彼(マイケル)とはあれ以来、話をしていない。彼は単なるビジネスのつもりなのだろう。でもああいう真似をするのは、ちょっと不誠実だと思う――だれかの友達になっておいてから、あとで足元をすくうような真似をするのは」(同著)。

(文・桑原亘之介)