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【スピリチュアル・ビートルズ】 ビートルズ来日から半世紀 アイドルから「権威」となったファブ・フォー

(写真:共同通信社)
(写真:共同通信社)

 日本中でビートルズ旋風が巻き起こった最初にして最後の来日から半世紀が経った。

 2015年にはポール・マッカートニーが49年ぶりに日本武道館に帰ってきた。1966年(昭和41年)のビートルズのメンバーとしての来日公演以来初の武道館でのコンサートを4月28日に行ったのだ。武道館を外国のミュージシャンが公演会場として使ったのはビートルズが初めてであり、当時は大もめにもめたのである。

 例えば、ビートルズ日本公演の主催者である読売新聞社主であり日本武道館会長であった正力松太郎氏は、公演が発表されたのちに行われたサンデー毎日のインタビューに答えて次のように語った。「武道館の理事や副会長は、会場を貸すことを了承したらしいが、ぼくは反対だった。武道館の精神に反するものは困る」。

 右翼による反ビートルズのデモも起こる中、緊張した面持ちで記者会見に臨んだビートルズのメンバーたち。武道館公演をめぐる騒動について尋ねられた彼らを代表してポールは「もし、日本の武道団がイギリスの王立劇場に出演しても、それがイギリスの伝統を汚すことにはならないと思う。私たちもあなた方と同じように伝統を重んじる」と返した。

 台風一過の6月29日早朝、羽田空港に降り立ったビートルズの4人はパトカーに先導されヒルトン・ホテルに送られ、日本滞在中はホテルと武道館の往復以外は基本的に警官隊に包囲されたホテルに缶詰めにされた。警備は前例がないほどに厳重なもので、武道館のアリーナに観客は入れず、警察官が多数配置されたのだ。世界中を飛び回っていたビートルズにも「奇異」にさえ映った光景であった。

 当時の警視庁の発表では、空港、ホテル、武道館でのべ8,370人の警官を動員したという。ちなみに少年少女の補導数は6,500人を超えた。

1966年6月30日、日本武道館で行われたビートルズの東京公演。アリーナに観客席は作られなかった。 (写真:共同通信社)
1966年6月30日、日本武道館で行われたビートルズの東京公演。アリーナに観客席は作られなかった。 (写真:共同通信社)

 ジャーナリストの竹中労らがまとめた「ビートルズ・レポート」は、物々しいばかりの警備を「予行演習」だったのではないかという。来るべき70年の日米安全保障条約の改定に向けて、学生運動や反米運動の高まりが予想されたからだ。樺美智子さんという東大生の犠牲者まで出した60年安保闘争がまだ記憶に新しかったからだろう。

 激しい安保闘争にもかかわらず日米安保条約は改定されたのだが、4年後の再びの改定を控えて警備当局が神経質になっていたことは確かだ。だが、70年の安保闘争は10年前ほどの激しさはなかった。「予行演習」が功を奏したのだろうか。安保闘争を主導した左翼勢力は「挫折」し、新たなる闘争を探る。しかし、72年のあさま山荘事件での内ゲバが明らかになるなど、左翼勢力は次第に衰退していく。

 90年の東西ドイツ統一、91年のソ連邦崩壊による冷戦の終結といった国際情勢の変化もあって、国内の左翼勢力の衰退にはますます拍車がかかっていった。

 そして昨年。安倍晋三首相の内閣が推し進めた安全保障法制や日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しが、今までと決定的に違うのは日本が攻撃された場合以外でも自衛隊が軍事力を行使出来るよう道を開こうというところだった。憲法の解釈を内閣の恣意で変更出来るようにして日本国憲法9条の持つ本来的意味をないがしろにしようというのだ。

 確かに国際環境の変化はあった。しかし、これほどまでに危険を冒そうとする安倍内閣、自民党に対する批判的な声がかつての安保闘争のような社会的に大きなうねりとなりきらない今の日本という国、いやそこに住む人々。ジョージ・ハリスンが言ったように現代社会のメディアやその他もろもろのことによって「洗脳」でもされてしまったかのようだ。

 ポールが約半世紀ぶりに武道館で歌ったが、かつてビートルズの公演時は封鎖されていたアリーナ席も開放され、SS席で10万円という高額チケットにもかかわらず席が埋まった。ビートルズ・ナンバーやポールの歌に熱狂するファンたちの姿には変わりはなかった。

来日記者会見でのビートルズ。左からポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジョージ・ハリスン。 (写真:共同通信社)
来日記者会見でのビートルズ。左からポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジョージ・ハリスン。 (写真:共同通信社)

 「ヤー・ヤー・ヤー」とマッシュルーム・カットの髪を振り乱して歌い、女性たちの嬌声を浴びていたアイドルであった「ファブ・フォー」。今では、ポールはナイトの称号を得、世界的なVIPである。リンゴ・スターもグラミーの殿堂入りに続き、2015年にはロックの殿堂入りも果たすなど、音楽界でのみならずその社会的地位は揺るぎないものがある。亡くなったジョン・レノンとジョージは一部ファンの間では「崇拝」の対象でもある。

 アイドルから「権威」となったビートルズ。そして彼らを取り巻く巨大産業としてのショービジネスの世界。「神話」ともいえるほどの巨大な存在になった彼ら自身はどう感じているのか。生前、ジョンはニューヨークについて語っていた。「街を歩いても大騒ぎされることがなく、たまにサインや写真をねだられるぐらいだよ、自由だよ、ニューヨークに生まれたかったくらいさ、それが英国とは違うところさ」と。

 ジョンが亡くなってから35年以上経つ。もし彼が今日の世界に生きていたとしたら、ニューヨークの街中を自由に歩き回れただろうか? 悲劇的な死によってある種「神格化」されてしまったジョンだが、もし生きていたら、彼に自由はあったのか、そんなことを考えさせられるビートルズ来日から半世紀である。

(文・桑原 亘之介)


桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。