2013年9月に国際オリンピック委員会(IOC)総会で当時の安倍晋三首相は、放射能汚染への懸念に対して、「フクシマ」の「状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」とたんかを切ってオリンピック招致を実現した。
福島の現実を知っている日本人はあぜんとし、フクシマとはどこのことか、と感じた記憶がある。この時の安全・安心の保障が絵空事だったことは、原発事故から今年で10年を経ても、除染が終わらない帰宅困難地域があり、発電所のデブリ(溶融核燃料)処理についても、計画通りには進まず、見直しが繰り返されて費用も増加の一途をたどっていることからも明らかである。
何かの問題が起きたときに、政府のとる対策が信頼できないことは、新型コロナ感染症対策にも共通する。
緊急事態を宣言し、期限を切って徹底した対策をとれば感染抑制につながるとの政府の希望的な観測は、これまで裏切られ続けている。今回の緊急事態宣言延長によっても4月下旬の発令から2週間以上経過しているのに、感染抑止の効果が見えてはこない。
今、国民がもっとも気にかけているワクチン接種でも、政府は1日100万人の接種を実現すると宣言している。いつものことだが、菅義偉内閣は漠然と目標を提示するだけで、それに至る具体的な方策、実現のための工程表を示すことはない。政策に具体性がないから、どこまで感染状態が改善すればオリンピックを開催するのかも示せない。開催したいという政治的な思惑だけがある。
オリンピックの開会式まで約2カ月、明日から毎日100万人の接種を行っても2回の接種を行える人数は3千万人ほどが限界で、実際は、大幅にこの目標を下回るだろう。できない理由も検証せずにただお願いするだけでは解決できない。自衛隊の協力で大規模な接種会場を2カ所作っても2万人規模にすぎず、あとの98万人分は各自治体の頑張りに期待しているだけだ。国民の大半がワクチン接種によって安心して開会式を迎える可能性は全くない。
しかも、オリンピック開催は医療体制に追加的な負担を強いるために、すでに関係者からは悲痛な声が上がっている。
菅首相は「専門家のご意見を伺って」を繰り返しているが、そうであれば、2カ月後のオリンピック開催の可否についても専門家に判断を委ねたらどうだろうか。
国民の多数の懸念を顧慮せずに、菅首相は、コロナ感染症は完全に統御されていると海外に向けて宣言し、オリンピックを強行開催するかもしれない。それが大規模なクラスター発生につながらないという保証はなく、そんな悪夢が現実にならないとは限らない。悪夢を避けるために決断の時が来ている。
(東京大名誉教授 武田 晴人)
(KyodoWeekly5月24日号から転載)