「デモクラシーの現場から」五輪開催へ退路断った首相

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 東京五輪開幕まで1カ月を切った。菅義偉首相は東京、大阪など9都道府県に発令されていた新型コロナウイルスの緊急事態宣言を解除。五輪・パラリンピックで国内観客を入れる意向を表明し、開催へと突き進む。大会成功を政権浮揚につなげたい首相が退路を断った形だが、感染再拡大を招けば政権は窮地に陥る危うさをはらむ。

 

助言

 

 「日本の立場を説明して、サミットの議論に貢献したい」。首相は6月10日夕、英国南西部コーンウォールでの先進7カ国首脳会議(G7サミット)出席を控え、官邸で意気込みを語った。

 アガサ・クリスティの推理小説の舞台にもなった避暑地でのG7サミット。首相にとって、就任後初の対面での国際会議を迎えた。4月に米ワシントンを訪れ、バイデン大統領との会談に臨んだ経験があるとはいえ、各国首脳が居並ぶ「独特の雰囲気」(外務省幹部)の中で、国益を懸けて立ち回ることができるかどうかに注目が集まった。

 出発に先立ち首相は6月3日、安倍晋三前首相の議員会館事務所を訪ね、サミットに向けて意見を交わした。安倍氏は「G7は個人的な認識を大いにぶつける場だ。自由に意見していい」と語り、とりわけ中国や五輪のテーマを首相自ら主導するよう助言したという。

 1994年、自民、社会、新党さきがけ3党の連立により誕生した村山富市首相は就任から1週間後に先進国首脳会議(ナポリ・サミット)が迫り、宮沢喜一元首相にアドバイスを受けていた記録がある。宮沢氏は「みんな選挙をやってきた連中だし、お互いに苦労が多いなあ、という気持ちがある」と村山氏の緊張をほぐし、大所高所から話し合うよう心構えを伝授したとされる。

 

外圧

 

 村山氏の時代とは直面する課題も政治背景も異なるが、安倍氏の忠告が役立ったのだろうか。サミット初日の討議で、首相は新型コロナウイルスという大きな困難に直面する今こそ「世界が団結し、人類の努力と英知で難局を乗り越えられることを日本から発信したい」と表明。各国に強力な選手団を派遣するよう要請した。最終日に採択された首脳声明には「新型コロナに打ち勝つ世界の団結の象徴」として、大会開催への支持が盛り込まれた。

 「しっかりと開会し、成功に導く決意を新たにした」。首相は6月13日午後(日本時間同14日夜)、サミットを終え、記者団に満足げな表情を浮かべた。

 コロナ禍の大会開催に慎重論が根強く残る中、首相の発言は予定通りの大会実現を改めて「国際公約」したと言っても過言ではない。出発前の6月7日の参院決算委員会では「私自身は主催者ではない」「国民の命と健康を守れなければ実施しない」など後ろ向きな発言が目立っていた。それだけに首相のサミットでの五輪発言は、外国首脳の言質をてこに五輪開催に向けた国内世論の醸成を狙う「外圧頼み」(野党幹部)の意図がちらつく。

 1964年10月10日の国立競技場。秋晴れの下、「世界は一つ」を標語に東京五輪は開幕した。五輪に合わせて新幹線や東京モノレール羽田空港線といった社会資本が整備される一方、河川の水質汚染やゴミ問題など社会問題が顕在化していた。当時の新聞紙面には公害対策に五輪予算を回すべきだという主張や、国威発揚のための開催だとの根強い反対論も展開された。

 賛否が渦巻く中、戦後からわずか19年後に開催された五輪はまさに「日本が戦後復興を成し遂げたことを高らかに宣言するイベント」(昭和史講義【戦後篇】(下)、第9講 東京オリンピック、浜田幸絵)だったのは間違いない。

 

真価

 

 翻って現在の日本を見ると、感染力の強い変異株の流行によるコロナ感染の「第5波」到来も予測され、五輪の中止・延期論がくすぶる。

 政府のコロナ感染症対策分科会の尾身茂会長ら専門家有志は6月18日、大会について「無観客が最もリスクが低く、望ましい」とする提言を政府と大会組織委員会に提出した。提言は、主催者や政府、東京都が一体となって感染リスク対策の議論をしてこなかったと批判。ワクチン接種が順調に進んでも、7月から8月にかけて感染者や重症者が再び増える可能性があると警鐘を鳴らす。

 政府内には提言を一時「自主的な研究成果の発表」(田村憲久厚生労働相)と位置づけるなど冷ややかな空気が流れていた。感染リスクを極力取り除くには政府や組織委、東京都など関係者が専門家の意見に対し謙虚に耳を傾けることが必要だ。だが観客を入れた開催にこだわる菅政権は、機先を制するかのようにG7首脳から開催支持の約束を取り付けた。そこには最悪の事態を想定し対応する危機管理意識の欠如と、五輪ありきの思惑が透ける。

 首相は国会閉幕後の6月17日の記者会見で、五輪開催の責任を問われ「日本国民の安全、安心、命と健康を守るのは首相としての仕事だ」と強調した。7月には大会に先立ち東京都議選が実施され、パラリンピック終了後の9月には衆院解散が取り沙汰される。首相が繰り返す「安心、安全の大会」という発言の真価が最後まで問われ続けるのは言うまでもない。

(共同通信政治部次長 倉本 義孝)

 

(KyodoWeekly6月28日号から転載)