「後始末政権」の様相―ひたひたと迫る危機

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 菅義偉政権の内閣支持率は底を打つ気配が見えない。4月の統一補欠選挙では不戦敗を含めてまさかの全敗。任期満了が迫る衆院議員の総選挙への不安がじわじわと自民党内に広がり、安倍晋三前首相の復帰論までささやかれる始末だ。

 とはいえ二度も健康不安を理由に退陣した人物の再々登板など政界の非常識だし、もとはといえば二つの補欠選挙は安倍政権の負の遺産だ。事実上の禅譲で誕生した菅政権は、前政権の影にいまだに呪縛されている。

 本来なら党総裁選を通じて前政権の検証、評価、清算が行われ、その土台の上に新たな政権がスタートする。幸か不幸か、安倍氏の後押しを追い風に圧倒的勝利を収めた結果、菅首相はその機会を逸した。

 政権発足当初こそ通信・デジタル分野や気候変動問題への対処で新機軸らしきものを示したが、さしたる政権浮揚効果はなかった。自身の準備不足もあり前政権の「継承」を掲げざるを得ず、女房役として立つ鳥跡を濁した亭主の「後始末政権」の様相を強めている。

 その最たる案件はコロナ禍対応だ。安倍政権の初動での不手際が尾を引いて、検査体制は手薄な状態が続いているし、ワクチン接種も各国の周回遅れ、「ワクチン後進国」と自嘲の声が国内から出るほどだ。接種をめぐり首相らが希望的な観測を打ち上げては修正に追い込まれ政府不信を深めている。

 短期、不徹底の末に繰り返される緊急事態宣言も国民心理を疲弊させた。「Go To」が端的な例だが、「健康も経済も」と二兎(にと)を追う対応が政府の危機管理能力への疑念を生んでいる。

 東京五輪・パラリンピックもコロナ禍対応の迷走と絡み「ガースー丸」を脅かす浮遊機雷になってきた。成功裏に終われば政権の功だが、リスクは限りなく大きい。開催にこぎ着けてもコロナ禍の展開は予測がつかず、不測の事態もあり得る。

 五輪招致は安倍氏が主導した華々しい成果だった。それだけに「1年延期」「完全な形での開催」という前首相の国際公約は首相の選択肢を閉ざしてしまった。口写しの勇ましい「コロナに打ち勝った証し」との旗を降ろし、作業現場の標語のような「安心、安全な大会」に切り替えて守りを固めるのがせいぜいだ。

 東電福島第1原発事故対応で放射性物質を含んだ処理水放出を表明したのも間が悪い。これも前政権の積み残しだ。五輪招致の際に安倍氏が同原発について「アンダーコントロール」と胸を張ったのを菅首相は苦々しく思い出しているのではないか。

 長期の政策課題となるとさらに気が重くなるはずだ。温室効果ガス排出削減の新目標を打ち出したが、これまた先送りされてきた課題。思い切った産業構造の転換を伴うだけに長期政権の不作為が重くのしかかる。

 国家財政の悪化はさらに深刻な問題だ。アベノミクスで国債依存が深まっていたのに、コロナ禍救済策で完全にタガが外れてしまった。緊急対応でやむを得ないにしても、いずれこの付けは回ってくる。

 ひたひたと迫る危機を前に政策資源も政治資源も乏しい首相。そしてその代わりも見当たらない政界。与野党の奮起を促すためにも総選挙に向けて有権者は厳しく政治の功罪をただす責任がある。

(赤顔子)

 

(KyodoWeekly5月31日号から転載)