
ロシアのウクライナ侵攻は世界を震撼(しんかん)させた。欧米などはロシアへの経済制裁を科したが、その影響は各地域に及ぶ。昨年8月末、駐留していた米軍が撤退し、タリバンが政権を掌握したアフガニスタンでは市民が厳しい日常を強いられている。今年1月下旬から2月中旬まで、同地を訪れた舟越美夏さんに最新の状況を報告してもらった。(編集部)
米軍の完全撤退とともにイスラム主義組織タリバンがアフガニスタンを掌握してから7カ月余りが過ぎた。外国にあるアフガン資産の凍結などで経済は崩壊状態にあり、国民の半分以上が飢えに直面しているものの、アフガニスタンは再び世界から忘れられつつある。
2月下旬に始まったロシア軍のウクライナ侵攻で、国際社会の目はさらにアフガンから離れた。人道支援はさらに滞り、テロ組織が勢いづく可能性もある一方で、タリバン暫定政権は「敵」への弾圧を強め、政策を厳格化しつつあるようだ。

最後の手段
車椅子に座り、白いスカーフをまとった年老いた女性は、灰色の雪が凍りついた道路に目を落としている。後ろに立つ女性は、前方を凝視している。
1月下旬、氷点下の空気の中で2人は、カブール空港から市内に続く幹線道路の真ん中にたたずんでいた。収入を得る最後の手段としての“物乞い〟なのだ。
だが、車は脇を通り過ぎるだけだ。微動だにしない2人の姿は、世界を静かに糾弾しているように見えた。
カブールの街は、表面的には平穏だ。路上の屋台は果物や野菜を積み、女性たちのいでたちも、ブルカ姿からダウンジャケットまでさまざまだ。迷彩服を着たタリバン兵が随所で検問を敷き、タリバン旗を翻した四輪駆動車が通り過ぎる。
タリバンもお気に入りというレストランは営業しているが、大半の市民は、空腹に追い詰められている。アフガン資産が凍結され、国際援助団体が去り、銀行は機能しておらず、多数が職を失った。
街は、大人に代わり家計を支える子どもたちであふれている。氷点下の気温の中を子どもたちは、早朝から靴磨きや物売り、物乞いをして働く。1日で稼ぐ100~150アフガニ(約150~200円)ほどが、家族の命をつなぐナン(パン)とお茶になる。
日暮れ時、無料でナンを提供する店の前には、ブルカ姿の女性や体の不自由な男性たちが集まる。
顔をも覆うブルカは、物乞いをする女性たちの味方になる。「子どもを売るか、腎臓を売るか」。戦乱で夫を失い4人の子どもを抱えた27歳の女性はつぶやくが、彼女は例外ではない。
人道危機が高まる中、米国は国連の要請で、米国内でアフガン中央銀行が保有する約70億ドルの半分を人道支援に活用すると発表した。
だが、国連の援助資金さえ地元通貨に交換できないままで、支援活動は思うように進まない。
アメリカ平和研究所は「ロシア軍のウクライナ進行は、アフガニスタンに大規模な人道的災害をもたらす恐れがある。国際社会化からの援助や同情、関心が奪われ、タリバンは支配を強化するだろうからだ」と警告する専門家の論文をウェブサイトに掲載した。

見えない暫定政権の素顔
タリバン暫定政権は20年前と変わったのか、同じなのか。本当の姿は今も見えにくい。女性たちの服装や行動を制限する命令を出しているが、厳格な取り締まりはないようだ。女性キャスターはテレビに戻り、私立の大学は閉鎖されなかった。民放のテレビ番組に幹部や戦闘員らが出演し、笑顔を見せたこともあった。
一方で、敵とみなした人々を容赦なく弾圧する。
「誰にも報復しない」と宥和(ゆうわ)政策を当初は強調していたが、前政権の警察官や兵士、抵抗勢力の拠点であるパンジシールの出身者、抗議デモに参加した女性らは、拘束や殺害の危険に身を隠しながら日々を送っている。
硬軟両方の顔を見せる背景には、内部抗争がありそうだ。
昨年9月には、副首相であるバラダル師らの穏健派と、内務大臣に就任したハッカニ師の強硬派との対立が内外で注目された。
タリバン以外の人材も幅広く取り込む「包括的政権」が、国際社会の求めたにもかかわらず実現されなかったのも、強硬派の反対があったからだといわれる。
強硬派の側面が際立ち始めたのは、ロシアのウクライナ侵攻が始まったころだ。「抵抗勢力の戦闘が再燃する」とうわさされた春が近づいたころでもある。
カブールで、治安部隊による大規模な家宅捜索が実施された。民放テレビでタリバンの政策を批判した大学教授、キャスターらが拘束された。20年前の旧タリバン政権と同じように、春分を祝う国民的行事「ノウルーズ」を「異教徒の習慣」として否定した。海外ドラマの放映禁止が発表された。
元国家保安局長官、ラフマトゥッラー・ナビル氏は3月22日、「バラダル師、ハッカニ師、ヤクーブ師(防衛相)が最高指導者アクンザダ師と協議するためにカンダハルに集まった。内部抗争の解決、国際社会の承認を得るための閣僚交代などが目的」とツイートした。しかし翌23日には、再開される予定だった女子中学生の登校が突然、撤回され、タリバンの方針がまた、見えなくなってしまった。

「夢にも思わなかった勝利」
勧善懲悪省のハーケフ・モハジル報道官の話を聞いたのは2月初旬だった。
勧善懲悪省は旧タリバン政権では「宗教警察」として知られ、「イスラム法」の極端な解釈による統制を実施し、欧米から非難された。女性の服装などに関する命令や海外ドラマの禁止などを発表しているのもこの省である。
「タリバンが女性を抑圧しているというのは欧米のプロパガンダです。女性は弱いので、保護しなければならない。ブルカの強制もしていません」。だが抗議デモをした女性たちについては批判した。「女性たちはブルカを焼いた。イスラムでは許されないことです」
32歳の報道官は、斜め下に目を落としたまま話し続ける。その表情が生き生きとしたのは、話題が戦争の話に向いた時だ。旧ソ連の侵攻を受け、家族が避難した隣国パキスタンで育ち、14歳のころにタリバン兵士となった。
「米国はテロリストです」。米軍はタリバンの拠点地域を激しく空爆し、中でもトランプ米政権時代には多数の市民が巻き込まれて死亡した。米国への憎しみは深い。
見せたい動画がある、と報道官はスマートフォンを取り出した。男が大地に突っ伏し、声を上げて泣いている。
「これは私です。米軍が全面撤退した日、故郷ロガール州に戦車で入りました。米軍に打ち勝つ日が来るなんて夢にも思わなかった。うれしくて、誇らしくて、号泣しました」。うっとりとした目で動画に見入っている。
「米兵が乗った戦車を焼き討ちにしたことがあります。残骸にこびりついた米兵の黒い痕跡を見るたびに、勝利の喜びを感じたものです」。他国に侵攻すればどんな痛い目に遭うか、世界は昨夏に目撃したはずだと、報道官は熱く話し続ける。
あなたが憎む米国の戦争を日本は支援したのですが。報道官は私のこの言葉には、暫定政権の一員としての外交辞令を口にした。「日本は、アフガニスタンを支援してくれる国です」

「声を上げるしかない」
勧善懲悪省報道官が批判した、抗議デモに参加した20代の女性たちの話を聞いた。
タリバンがカブールに入った2021年8月15日。福祉関係に従事するシャムシア(25)は職場にいた。「あばずれたちをタリバンが一掃してくれる」。男の叫びが通りから聞こえた。
10代の少女が道端でぼうぜんとしている。声を掛けたが反応がない少女の手を取って「家に帰ろう」と歩き出した。
脱出しようと多数が押し寄せ大混乱に陥ったカブール空港周辺と異なり、市内は静かだった。その中で女性の人権や自由を守るようタリバンに求めるデモをする女性たちがいた。
一般の男性たちも女性のデモに眉をひそめた。タリバン兵士らは「殺すぞ」と銃で脅したり、催涙ガスを使ったりした。それでも女性たちはデモを何度も仕掛けた。
シャムシアはアフガン各地で人権や福祉に関わる女性の友人たちと「今、何をやるべきか」を話し合った。西部ヘラートで拘禁された前政権の女性刑務所長の解放を求め、仲間たちとデモを決行した。
タリバンは報道された写真を基に、デモに参加した女性たちを探している。女性たちはマスクをし、スカーフを替えて通りを歩く。シャムシアによると、脅迫電話などを受けてカブールのシェルターに身を隠していた29人のデモ参加者がタリバンに拘束された。地元記者が人権活動家の話として明かしたところでは、北部マザリシャリフでは、タリバンに拘束され解放された女性のうち6人が妊娠していた。
22歳のラムジアの親友は、米CNNでインタビューに応えた後、自宅で拘束され、1カ月後に解放されるまで行方不明だった。「でも私たちは声を上げ続けるしかない。家に閉じ込められて子どもを産むだけの未来なんていらない」。ラムジアは恐れを知らない。
通りでのデモが極めて危険になると、シャムシアは他の女性たちと雪山に行き、戦う意志を書き連ねた紙を掲げた。「私たちの声を無視するなら、もっと大きな声で叫ぶ」。写真を撮影し、ソーシャルメディアにアップした。
「ハザラ女性はファイターよ」。20代のタジク人女性が言う。ハザラ人はアフガンでは3番目に大きな民族集団だが、少数派であるイスラム教シーア派のために差別や迫害、虐殺に遭ってきた。過酷な歴史が女性たちを強くしたのだろうか。ハザラ人のシャムシアはまさにファイターだった。

「私たちには夢があった」
力強く話す明るいシャムシアが黙り込んだのは、「米国をどう思うか」と尋ねた時だ。タリバンと和平合意を結び、タリバンが急速に全国を制覇していく中で完全撤退をした米国である。「米国が前政権もタリバン暫定政権もつくった」と若者たちが口にするのも、私は何度も聞いていた。
「大嫌い」。沈黙の後、シャムシアは吐き捨てるように言い、涙を拭った。「私はハザラ人で、女性で、とても大変だったけど、全力を尽くしてきた。幸運にも教育を受ける機会があって、それを社会に還元したいと思っていた。それなのに」。シャムシアは言葉をのみ込んだ。
「私たちには夢があった」。10代、20代の女性たちがよく口にした言葉を思い出した。前政権の根深い汚職にはうんざりしたが、教育の機会があり夢を描けた。だが今、将来は見えない。
「混乱はアフガン人自身の責任でもある。どのリーダーも外国の言いなりになっていたから」。25歳の男性、ムーインは力説する。
「自分たちはこれからの社会を担う世代。だけど最大の問題は、40年の戦争で複雑化した現状をどう解きほぐせばいいのか誰にも分からないことだ」。ロシア軍のウクライナ侵攻が事態をさらに難しくしている。

【筆者】
ジャーナリスト
舟越 美夏(ふなこし・みか)
(KyodoWeekly4月4日号から転載)