日本だからできる関与を探れ 陥落から2カ月のアフガン

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写真はイメージ

 イスラム主義組織タリバンがカブールを陥落させて、2カ月近くが経過した。タリバンの真の姿やどんな政権が作られるのかはまだ見えてこないが、確かなのは、アフガニスタンは早急な人道支援を必要としており、世界の政治経済にも影響しかねないこの地域の安定化に国際社会が関与し続けなければならないということだろう。国連は人道危機を訴え、10億ドル(約1100億円)の支援を発表したが、アジアの国として欧米とは異なるアプローチができるはずの日本は、この20年間よりも一歩踏み込んだ関与をしていくべきだ。

 

いつの間にか横にタリバン

 

  湖で白鳥ボートをこぎ、公園のブランコや回転遊具に嬌声を上げる、銃を携えた男たち。若いタリバン戦闘員たちがSNSにアップしている動画は、写真撮影を嫌った旧タリバン政権からは考えられない無邪気さだ。もっとも、国際社会では「誘拐犯の公開処刑」映像の方が「遊ぶタリバン」よりも話題になった。

 タリバンは8月15日、静かにカブールに入ってきた。「ついに来た」。この日の午後、共同通信カブール支局の安井浩美通信員から来たメッセージである。

 午後1時を回ったころ、安井通信員が共同通信支局から外に出てみると、白いタリバン旗が翻り、タリバン戦闘員が近くに立っていた。近くの美容院の経営者が、タリバンを恐れてか、ウインドーに貼っていた女性のポスターを剥がしていた。「気がついたら横にタリバンがいた状態だった」という。

 タリバンは前日にはカブール近郊の都市を制圧したが、15日のカブール陥落を国際社会は予想していなかった。世界を駆け巡った映像と写真に、誰もが驚愕(きょうがく)した。ハリウッド映画の悪役を連想させる、大統領府でポーズを取るターバン姿で武装した男たち。恐怖政治の再来を恐れ、カブール空港に殺到する人々。「女性の人権を踏みにじる残虐な集団が復活した」と、欧米ではヒステリックな声が湧き上がっていた。

 しかし街中は平穏だった。「戦闘は起きないから大丈夫だ」。中東カタールのドーハにいるタリバン報道官が、安井通信員の取材に断言した通り、銃声もなかった。タリバンの主要な構成民族と同じパシュトゥン人が住む地区では、普段通りに商店が開き、人々が屋台の野菜売りと言葉を交わしていた。

 カブールが、やすやすとタリバンに明け渡された背景は分からない。その日、大統領府には警備担当者の姿もなかったのだ。「パシュトゥン至上主義者」で知られたガニ大統領とタリバンの間で、何らかの合意が交わされていたのかもしれない。ガニ大統領はいち早く、逃亡した。

 

多数の市民を巻き込んだ米軍空爆

 

 タリバンの攻勢が強まったのは、2020年2月、米国とタリバンが和平合意に署名し、米軍の完全撤退が決まってからだ。

 しかし安井通信員によると、市民は米軍撤退を惜しんでいたわけではない。米軍が「テロ掃討」の名の下に実行した住民宅の夜襲や長期の駐留はタリバンの反発を呼び、戦闘や自爆テロの激化を招いていた。

 さらに米軍や政府軍による空爆は、子どもを含む多数の住民を死傷させた。中でもトランプ政権時代の2017年から米軍の空爆は激化し、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)によると、2019年には旧タリバン政権崩壊後で最も多い約700人の住民が死亡した。

 空爆は、タリバンを和平交渉のテーブルに着かせることが狙いだったというが、住民をタリバン側に押しやる側面があったことは否めない。

 このことに国際メディアはほとんど注目しなかった。アフガニスタンは歴史上、侵攻する大国の動きとともに注目されては忘れ去られてきたが、それがまた繰り返されていた。

 7月初旬、米軍の大半が撤退すると、タリバンはさらに勢いを増し、米国紙は「半年か1年後のカブール陥落」を警告する専門家の見方を報じた。

 

それでも無駄ではなかった

 

 「われわれは20年かけて『失敗政府』を作った」。カブール陥落直後に、こんな「反省」が米国メディアで語られた。伝統を重んじる複雑な多民族社会への無理解、政府の腐敗につながった莫大(ばくだい)な援助金。20年前のアフガン攻撃は間違っていた、との意見まで飛び出した。

 そもそも旧タリバン政権時代、国際社会は最貧国アフガニスタンに関心がなかった。注目を向けさせたのは、大干ばつによる数百万人の国内避難民でも、寒波で凍死した避難民キャンプの子どもたちでもなく、米国と同盟国の軍事行動だった。

 タリバン政権崩壊後、支援国の提言で女性問題省が新設され、各州に設置された人権委員会は女性たちに「人権」について教えた。夫の暴力に「ノー」と言う権利、教育を受ける権利、選挙で代表を選ぶ権利、などである。

 自分たちの権利を知った女たちに男たちは反発し、暴力をふるった。「男性を教育することが必要です」。取材した女性問題相の言葉が日本社会の現実とも重なった。男性教育は実現しなかった。

 それでも女性の教育は無駄ではなかったと思う。9月初旬、数十人の女性たちがタリバンに殴られながらも、「自由と民主主義」を求めて抗議運動をしたのだ。

 カブールを出ないと決めたというある女性は、中東の衛星TV、アルジャジーラのニュースサイトにこう書いた。「男たちが通りで女たちを守るために抗議をすることはない」「男たちが欲するのは結局、権力と金、支配なのだ」

 報道を見ながら、私は5年前に取材した少女たちを思い出していた。「生きている間に平和はこないでしょう。でも外国に行かずに幼い甥(おい)や姪(めい)の未来のために尽くしたいんです」。汚職、暴力と死、男性のルールに服従を強いる社会の現実を直視し、人生に希望を見いだそうとしていた彼女たちは今、どうしているだろうか。

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豊かな地下資源

 

 地政学的に重要な位置にあるアフガニスタンではこの20年、各国の情報員が、アフガン政府や大国、周辺国の動きを探り活動していた。各国が注視しているものの一つは、大使館を閉鎖しなかったロシアと中国の動向だろう。

 アフガニスタンは未開発の資源の宝庫でもある。旧ソ連の調査で世界最大級の銅鉱床が眠っていると分かり、米地質調査所も天然ガス、金、銅、リチウム、レアアースなど、埋蔵量は最大3兆ドル相当であると発表した。

 治安を理由に各国は開発参入をちゅうちょしたが、中国は2011年に北部のアムダリヤ油田の採掘権を獲得した。2007年にはカブール郊外のメス・アイナク銅山の採掘権を約30億ドルで落札。「アフガン初の国際的で透明な入札」という世界銀行のお墨付きだった。

 2012年4月、メス・アイナクを訪れた時、中国人技術者のためのプレハブ群が既に出来上がっていた。シャフラニ鉱工業相は「資源開発によりわが国は、援助に頼らず自分たちの足で歩き始める」と期待を込めて語った。

 しかし、この地域で重要な仏教遺跡が見つかり、さらにタリバンの支配地域となったことで開発は滞った。タリバンは2016年、中国に「開発を許可する」とアピールし、これ以降、タリバンと中国の関係は続いたようだ。カブール陥落の2週間余り前、中国の王毅(おう・き)国務委員兼外相がタリバン最高幹部の1人を招待し会談している。米ブルームバーグ通信が引用した「米国は、レアアースを含む中国とアフガニスタンの協力関係に干渉する立場にない」とする中国メディアの報道は、背後で火花を散らしているものを伺わせ興味深い。

 

「日本に欠けていたのは政治的意志」

 

 アフガン復興は、日本が国際社会で存在感をアピールする好機であった。米軍の後方支援で日米同盟を強調して、復興支援会合を東京で2度開催し、約7千億円に上る支援金を拠出した。タリバンが復活した今、考える。日本の支援とは何だったのか。

 アフガニスタン支援ミッションの山本忠通・元代表は、米国など同盟国の決定に従うだけで「政治的意志が欠けていた」と指摘する。この地域に利害関係がなく、戦闘にも直接関与しなかった日本こそが、欧米とは異なる独自の政治的意志を持ってアフガン支援をリードしていくべきだ、というのである。

 「力によって敵意が減ることはない」。故中村哲医師は、日本の国会でそう証言した。中村医師が現地の人々と共に働いた数十年の日々は、アフガン人が日本人全体に寄せる信頼に結実している事実を教訓にしたい。

 カブール陥落では日本大使館員は大慌てで脱出し、その後の「退避作戦」も失敗した。経験豊かな米軍にさえ難しい退避ミッションで、日本政府に「人命を尊重する」強い意志と綿密な計画があったのか。首相が交代しても、検証を怠ってはならない。当面は、日本政府のために働いたアフガン人とその家族の退避を実現してほしい。信頼すべき国であるかどうか、アジアの国々は注視しているだろう。

【筆者】

ジャーナリスト

舟越 美夏(ふなこし・みか)

 

(KyodoWeekly10月11日号から転載)