複雑化する社会において、仕事のありようも変化を免れない。より細分化されていく労働のなかで、「エッセンシャルワーカー」や「ブルシットジョブ」という言葉が生まれるなど、仕事の本来的価値とその対価との正しい関係性にも関心が生まれてきた。
「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ。そこに生じる喜怒哀楽に翻弄されながらも、結局はそれ以上でもそれ以下でもない」――アフガニスタンとパキスタンで、病や戦乱、そして干ばつに苦しむ人々のために35年にわたり活動を続けた中村哲医師の言葉である。
映画『医師 中村哲の仕事・働くということ』(製作:日本電波ニュース社/47分)が東京都世田谷区、西東京市、調布市などで上映される。
1984年に医療支援を開始し、干ばつ対策用の用水路建設、農村復興へと活動を広げた中村医師。まず現地の言葉を覚え、現地の人々との対話を通じ、信頼を重ねていく。
「私たちに確固とした援助哲学があるわけではないが唯一譲れぬ一線は“現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のために働くこと”である」。
用水路建設では自ら設計図を引き、重機を運転し、泥にまみれて一緒に作業する。その作業には貧しさゆえにタリバンに参加していた農民も参加していた。
荒れ果てた大地は蘇り、農作物は実り、65万人の生活を支えている。親子で収穫し、家族で食事をする風景は眩しい。中村医師はいう「これは人間の仕事である」と。
同映画は、11月27日(日)午後3時から世田谷区の松沢教会礼拝堂(アフタートークは松沢幼稚園理事長・今関公雄氏)、11月28日(月)午後2時から世田谷区北沢タウンホール(谷津賢二カメラマン)、11月30日(水)午前10時から世田谷区北沢タウンホール(城南信用金庫名誉顧問・吉原毅氏)、12月2日(金)午前10時から世田谷区成城ホール(世田谷区長・保坂展人氏)、12月8日(木)午前10時より西東京市・保谷こもれび小ホール(東京外国語大学名誉教授・西谷修氏)で上映される。各30分前受け付け・開場。
来年1月14日(土)午前10時から山梨市民会館、1月15日(日)午前10時から調布市文化会館たづくり、2月11日(土・祝)午前に国分寺市いずみホールでも上映される予定。
いずれも参加費が必要となる。問い合わせ先はワーカーズコープ東京三多摩山梨(042-649-8801)。映画の情報は公式Facebookでも確認できる。http://ur0.work/DRvl
すでに栃木県の那須中学校での上映実績があるが、「学校でのさらなる上映も企画している。また議員の勉強会でも使いたい」(ワーカーズコープ)という。
この映画は、「労働者協同組合法」が成立したことを記念して作られた作品だ。ワーカーズコープ(日本労働者協同組合)はその産声を上げた時から“失業・貧乏・戦争なくせ”をスローガンとして活動してきた。発足当時から雇う、雇われるという関係でなく、働く一人一人が出資して経営にも参加し、福祉や子育て、公共サービスといった社会に役立つ仕事に取組み、今年10月に施行された同法のもとでの新しい働き方として注目されている。
そのワーカーズコープが中村医師の生き方、働き方に強く共鳴し21年の歳月をかけて中村医師を記録してきた日本電波ニュース社(東京)に依頼し、“働くこと”と“仕事観”に焦点を当てて作られたのがこの作品である。
同社の谷津賢二カメラマンは21年間にわたってアフガニスタンでの中村哲医師の活動を撮影し続けた。谷津氏が取材を始めたのは1998年6月で、最後が2019年5月。アフガニスタンに25回渡り、現地滞在日数はおよそ450日。約1,000時間の映像が残った。
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束」(中村哲・澤地久枝=聞き手/岩波現代文庫)によると、中村医師は1946年生まれ。84年にパキスタンのペシャワールに赴任、ハンセン病治療やアフガン難民の診療に従事した。PMS(平和医療団・日本)総院長およびペシャワール会現地代表として、アフガニスタンにおける復興事業の先頭に立つ。2003年マグサイサイ賞受賞。2019年12月4日、アフガンで凶弾に倒れ死去。
「ウクライナ、ミャンマー、シリア・・・世界は不安に覆われ、無この民の命が理不尽に奪われ続けている今だからこそ、この映画を全国に届けることを私たちは願っています」(ワーカーズコープ)。