ジョン・レノンの学生時代の黒縁メガネはこの人の真似だった――ロックンロール黎明期のスーパースターだったバディ・ホリーのことだ。
そのバディのキャリアはわずか2年。「ペギー・スー」、「オー・ボーイ」、「レイヴ・オン」、「シンク・イット・オーバー」などヒットを連発したが、ツアーの移動中に飛行機の墜落事故にあって非業の死を遂げた。享年はわずか22才。
アカデミー賞音楽賞受賞映画『バディ・ホリー・ストーリー』(1978年/スティーヴ・ラッシュ監督)が来年2月4日(土)に渋谷ユーロライブ(渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F)で日本初上映される。午後1時15分からの一回限りの上映となる。
全席自由席。当日券は1500円、前売り券は1374円。入場料の一部は、子どもたちが社会から孤立することなく暮らしていけるようになることを目的とした学習支援や自立支援のため、チケット1枚につき250円が「認定NPO法人 3keys」に寄付される。金銭的に苦しい人は相談次第で無料招待される。また事前連絡が要るが、おにぎりが提供される。
バディ・ホリーは「わずか22年の生涯、うち活動期間は実質2年ほどしかないが、彼がロックンロールの世界で果たした役割と功績は不滅である」(大人のロック!編「ザ・ビートルズ人物大事典」日経BP)という。アメリカのシンガー・ソングライター、ドン・マクリーンは「アメリカン・パイ」という作品で、「音楽が死んだ日」と歌ったほど。
ジョン、ポールをはじめとするビートルズの4人にも大きな影響を与えた。ジョンが学生時代にかけていた黒縁のメガネはバディの真似だといわれている。ポールはのちにバディの楽曲のほとんどの版権を購入して管理している。さらには、「バディ・ホリー・ウィーク」というイベントを開いたこともある。ポールは、ドキュメンタリー映画『The Real Buddy Holly Story』を制作し、自らも出演した。
ジョージ・ハリスンもプロ・デビュー前から、「クライング・ウェイティング・ホーピング」をカバー。ソロ時代の「バングラデシュ難民救済コンサート」(71)では、憧れのバディが使っていたのと同様のフェンダー・ストラトキャスターを弾いていた。リンゴ・スターも『リンゴ2012』で「シンク・イット・オーバー」をカバーしている。
併映されるのはスウェーデン・パンクを描いた映画『ウィ・アー・ザ・ベスト』(2013年/ルーカス・ムーディソン監督)。2013年東京国際映画祭サクラ・グランプリを受賞している。作品自体がパンク的な自由さ、エネルギーに満ちており、クライマックスの演奏会で大団円を迎えるというようなお決まりの構築美があえてブチ壊される。
映画では『KSMB』や、スウェーデンで最も成功したパンク・バンドといわれる「エバ・グロン」がフューチャーされている。1970年前後に生まれたスウェーデン人にとってはアバよりもはるかに大きな存在だったといわれる。