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「この映画はトム・ハンクスにとっての『生きる』になったのではないかと思います」 『オットーという男』マーク・フォースター監督【インタビュー】

 いつもご機嫌斜めで、隣人からも疎まれているオットー(トム・ハンクス)は、人知れず孤独を抱え、自ら命を絶つことを考えていた。ところが、向かいの家に越してきた陽気なマリソル(マリアナ・トレビーニョ)とその家族が、なにかと邪魔をして、なかなか死ぬことができない。だが、そのマリソル一家が、オットーの人生を変えてくことになる。スウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』(15)をマーク・フォースター監督がリメークした『オットーという男』が3月10日から全国公開される。フォースター監督に主演のハンクスのこと、映画に込めた思いなどを聞いた。

マーク・フォースター監督(左)とトム・ハンクス

-監督の前作『プーと大人になった僕』(18)も、この映画も、人生のやり直しや再生がテーマでした。このテーマに対するこだわりや、なぜこのテーマに引かれるのかを教えてください。

 僕自身、人間というものを信じています。楽観主義的というか、人類に対して希望を持っています。なので、そういうテーマにインスピレーションを感じます。僕は常にポジティブでありたいし、トンネルの先には必ず光があると思っているタイプなので、そういう物語に引かれるのだと思います。今回、すてきだと思ったのは、オットーの周りにいるキャラクターが、皆それぞれ違うバックグラウンドを持っていることでした。その人たちが一つになることで、オットーが改めて生きる理由を見つけていく。そこにとても引かれました。

-今回、監督のオファーを受けたときに、自分の中のどんな部分がこの映画に生かせると考えましたか。

 僕が最初にこの話と出会ったのは小説を読んだときでした。それで映画になっていることを知り、その映画(『幸せなひとりぼっち』)を見てみました。それで興味を持って脚本家やプロデューサーに連絡してみると、トム・ハンクスも興味を持っているという話になって、みんなで集まって企画が動き始めました。今でこそトムは名優中の名優ですが、80年代は『スプラッシュ』(84)や『ビッグ』(88)といったコメディー映画で活躍していました。その後、シリアスなものが続きましたが、この話なら、ユーモアのある面白いトムという部分も出せるし、ドラマの部分も描ける。陰と陽、光と闇の両方が出せるのではないか思いました。自分なら、その両方のトーンが撮れると思いました。

-実際にトム・ハンクスと仕事をしてみて、いかがでしたか。

 もちろん、トムはハリウッドでも指折りの人柄の良さで知られていますが、まさにそういう人でした。この作品の企画から撮影まで、長期間、共に過ごして思ったのは、トムの仕事に対する姿勢の素晴らしさでした。例えば、撮影現場には朝はもちろん定刻通りに来て、トレーラーに戻ることは一切ありません。ずっと現場にいて、準備ができたら、そのシーンを撮るという感じでした。結果的に、朝から夕方までずっと現場にいるんです。僕はそんな俳優は今まで見たことがありませんでした。しかもトムは40年以上もスターであり続けている人なんです。それなのに、仕事に対する情熱が、最初の頃と全く変わっていないんです。まるで小さな子どものように、演技をすること、映画を作ることを愛しているんです。そういう俳優と初めて出会いました。

-トム・ハンクスとマリアナ・トレビーニョとのシーンで、特に印象に残っているものはありますか。

 トムは、最も偉大な俳優の一人だと思います。マリアナはメキシコで目覚ましい活躍をしていますが、僕にとっては新たな発見でした。2人は、とてもいい相性を持っていると思います。僕は、マリアナが演じたマリソルが、絶対に諦めないところが大好きです。それはオットーが心を開くまでノックし続けているように思えました。彼女の存在があったからこそ、オットーは改めて生きる理由を見つけることができたのです。そこがとても美しいと思いました。

-オットーの若き日を、トム・ハンクスの息子のトルーマンが演じていましたが、撮影の様子はいかがでしたか。トムは息子の演技について何かコメントしていましたか。

 トムはトルーマンの演技に関しては何も言っていませんでした。僕は、トルーマンは80年代のトムにすごく似ていると思ったので、出演してほしいと思いました。彼は撮影監督を目指していて、演技には特に興味はないということだったので、説得して出てもらったのですが、カメラの前でもひるむこともなく、しっかりと演技をしてくれて、期待に応えてくれました。トム・ハンクスの息子というだけでプレッシャーがあるので、あえてトムは何も言わなかったのかもしれません。

-以前、トム・ハンクスの主演で、黒澤明監督の『生きる』(52)をリメークするという話がありました。それは実現せず、昨年イギリスでリメークされましたが、トムにとっては、この映画がその代わりのような感じもしました。

 クロサワの名前が出るだけで光栄で、大いなる誉め言葉だと思います。僕も、この映画はトムにとっての『生きる』になったのではないかと思います。今回のオットーというキャラクターは、とても普遍的なものです。例えば、シェークスピアのキャラクターもそうですが、この話の舞台を私の出身地であるスイスや、日本、南米などに移しても成立します。自分の周りに実際にオットーのような人物がいたりもするでしょう。なので、この原作がまた違う国で再解釈されて、つづられるかもしれないと思います。