ラートにはまっている。
ドイツ生まれのニュースポーツ、ラート。鉄のパイプでできた車輪のようなものに大の字で掴(つか)まってゴロゴロと転がる。子どもの頃にテレビで見てからずっとやってみたかったけれど、珍しいスポーツだから機会が無かった。それが、東京藝大のシラバスを見ていたらあったのである。卒業要件科目の体育に、「ラート」の選択肢。体育の単位は前に出た大学で取っていたので正直必要ないのだが(トランポリンと乗馬の授業を受けた)、ラートがあるならぜひやってみたい。こんなチャンスもう人生で無いかもしれないと思って申し込んだ。
藝大生は手が命。音楽分野も美術分野も、ほとんどみんな手を繊細に使って作業する人たちだから、手の安全は文字通り生命線だ。ラートは見た目からして危険なので思ったほど人気がない。受講しているのは割合お気楽な邦楽科生達や、美術側の生徒が多い。ラートで転がる合間におしゃべりして、今何の曲をやっているかとか、何を彫刻しているかとか、色々な人の学生生活が知れて楽しい。体育の授業は音楽側と美術側の生徒が知り合う貴重な機会でもある。
ラートに乗る時は足をベルトで固定して、大きく左右に揺れて反動をつけそのまま横へ転がっていく。天と地が完全にひっくり返り、日常の中で味わうことのない感覚に最初は思わず声が出る。タスクに追われる生活の中で、ラートに乗っている時間だけは全てを忘れて円の運動に身を任せ、自分の体だけに集中することができる。頭の中まで上下にかき回されるような感覚がとても心地いい。
フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは、〝遊び〟の分類を「アゴン(競争)」・「アレア(運・賭け)」・「ミミクリ(模倣・ものまね)」、そして「イリンクス(うずまき・めまい)」の四つに類型化した。これを「意思↔脱意思」「規則↔脱規則」の2軸で考えると、「イリンクス」は脱意志的で脱規則的なものにあたる。ごろごろぐるぐる回るラートには思考を捨てて味わえる根源的な楽しさがあると思う。
音楽療法の現場でも、目の見えない子どもや発話の難しい子どもに人気なのが「ゆらゆら」「ぐるぐる」なのだそうだ。感情の発露があまり無い子どもでも、抱き上げてぐるぐる動かすだけで自然に笑いが出てくる。難しいことをしないでも、体が揺れるというだけでこんなにも楽しい。
目まぐるしい生活の中、スマホばかり見つめていては頭も体も強張ってしまう。ときには考えることを止めて、ただぐるぐる、回るラートに身を委ねたい。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 24からの転載】
かにさされ・あやこ お笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。人型ロボット「Pepper(ペッパー)」のアプリ開発などに携わる一方で、日本の伝統音楽「雅楽」を演奏し雅楽器の笙(しょう)を使ったネタで芸人として活動している。「R-1ぐらんぷり2018」決勝、「笑点特大号」などの番組に出演。2022年東京藝術大学邦楽科に進学。