
重要無形文化財「蒔絵」の保持者(人間国宝)である漆芸家・室瀬和美さんが10月1日、蒔絵螺鈿丸筥(まきえらでんまるばこ)「光輪」を高野山金剛峯寺に奉納した。日本画家・千住博さんが障壁画の制作に使った顔料などを収め、絵画とともに後世へ伝えるための箱だ。漆の層に光と奥行きを表現した作品には、素材と技術を千年先につなぐという願いが込められている。
■千住博さんの依頼で
きっかけは、親交のある千住さんからの相談だった。金剛峯寺の障壁画を描くために使った顔料など、大切な材料も寺に納めたい。そのための箱を作れないか、という依頼だった。
「そういうものは今までに作ったことがなかったので、ちょっと悩んだんですけど、これも高野山のお大師様のご縁かなと思いましてお引き受けした次第です」
ただし、漆の仕事には時間がかかる。構想を練り、箱の木地を用意し、漆を塗り、蒔絵や螺鈿を施す。「4、5年かかってもいいですか」と伝えた。
依頼から約5年、制作から4年をかけて完成した。中に収めるのは、今では手に入りにくい天然の顔料などだ。箱とその中身を、ともに長く伝えてほしいと室瀬さんは願う。
開創から1200年以上の歴史がある高野山には、蒔絵を施した唐櫃や、数珠を収める箱などの漆芸品が伝わる。かつての職人が手がけた品々が、長い時を経て今に受け継がれている。
「千年先に伝えられる仕事をさせてもらっているのは、本当に幸せだと思っています」

■蒔絵で重ねる「光と奥行き」
デザインの着想は、高野山の真言宗の教えから得た。胎蔵界曼荼羅の中心には、大日如来を囲むように8尊の仏・菩薩が配置されている。室瀬さんは、この構図からイメージを膨らませ、蓋の文様へと落とし込んだという。仏の教えを車輪にたとえた「法輪」を光で表現したことから、作品を「光輪」と名付けた。
「高野山、そして真言宗、そして光。この三つのキーワードで、今回のデザインをさせていただきました」
その表現の中心を担うのが、室瀬さんが長年磨いてきた蒔絵の技だ。漆で文様を描き、固まる前に金や銀の粉を蒔き付け、漆が固まることで金銀の粉が定着する。「蒔いて絵にする」という名の通り、金属の粉で文様を表す技法だ。
今回用いたのは、蒔絵の上をさらに漆で塗り込め、炭で研いで文様を浮かび上がらせる「研出蒔絵」。8方向に伸びる文様には、夜光貝の光沢を生かした螺鈿も施した。滑らかな表面に奥行きと、奥から手前へ差し込むような光を表現した。もっとも苦心したのは、この奥行きを生み出すことだった。室瀬さんによると、年月とともに漆の見え方が変わり、文様の印象も変化していくという。
「これから10年、20年、30年と時がたつほど、見え方が変わってくる。そういう時間軸と光を表現するのが、今回のテーマでした」
室瀬さんは、こうした変化を「経年劣化」ではなく「経年美化」と呼ぶ。見る人に難しい知識を求めるつもりはない。「美しい」「奥行きがある」「光を感じる」。まずは、作品から受け取る感覚を楽しんでほしいと話す。
「光輪」は、鑑賞するだけの作品ではない。顔料などを収め、守るという役割がある。室瀬さんが大切にするのは、この実用性と美しさの結び付きだ。日本の工芸には、使うための道具に美しさを加えてきた長い伝統があるという。
「生活空間に美的感覚を加える。これは日本の文化なんですね」
千住さんの障壁画も、建築の一部である襖に描かれている。その制作を支えた顔料を、美しい箱に収めて残す。「光輪」もまた、ものを収めるという役割と美しさを兼ね備えた、日本の「使う美」を体現する工芸品だ。

■「消える」と言われた伝統
室瀬さんが漆と出合ったのは、幼い頃だった。父も漆芸家で、中学生の頃から少しずつ仕事を手伝っていた。
高度経済成長期、周囲からは「日本のこういう古い伝統は消えるぞ」と繰り返し言われた。それが、かえって漆の道を選ぶ理由になったという。
「消えるなら、逆にどういうふうに消えるのか、見届けたいと思って(この仕事を)選びました」
制作を続けるうちに、素材そのものの力に引かれていった。ウルシの木から採れる樹液を塗り重ね、硬化させることで、丈夫で美しい塗膜ができる。適切に守り、手を入れながら、世代を超えて残していくことができる。
「漆の素晴らしさと、強さ、美しさ。これを生かすのが、私たちの仕事かなと思っています」
■千年先へ残すために
長い年月に耐える漆も、傷まないわけではない。紫外線などの影響を受け、表面は徐々に変化する。だからこそ、汚れを取り、状態に応じて漆を補うなどの修復が欠かせない。
室瀬さん自身、数百年前の作り手が残した品々を修復してきた。今、自分が作る作品も、いつか未来の誰かの手に委ねることになる。
「傷んできたら、200年後、300年後の人に直してもらわなきゃいけない。その技術も教えなければいけないですよね」
室瀬さんが危機感を抱くのは、漆芸品の修復を担う人材の不足だ。作品を新たに作るだけでは、文化は残せない。過去の作品を直し、次の世代へ手渡す技術も必要になる。財団を設立し、若い修復技術者の育成に力を注ぐのは、その循環を途切れさせないためだ。
室瀬さんにとって、漆は日本の文化そのものだ。千年、2千年という長い時間をかけて育まれてきた漆を「日本人のなかの血液」にたとえる。
「あって当たり前と皆さん思っているけれど、大事にしないと消える」
かつて「消える」と言われた伝統を、千年先へつないでいく。千住さんの障壁画を生んだ顔料を守り、その箱が傷んだら、未来の職人が修復する。「光輪」には、作品だけでなく、それを守り続ける技術も未来へ託したいという室瀬さんの思いが込められている。








