カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】 平和と愛を訴え続けるリンゴ ビートルたちにとっての愛

10467001655 ビートルズが残した最大のメッセージである平和と愛。それを受け継ぎ、愚直なまでにストレートに訴え続けているのがリンゴ・スター。残ったビートル二人のうち、ポール・マッカートニーと比べても、彼の次々と繰り出す愛のメッセージには驚かされるばかりだ。

リンゴ・スターの今世紀発売された6枚のアルバム。上段左から右へ『ポストカーズ・フロム・パラダイス』、『リンゴ2012』、『ワイ・ノット』。下段左から右へ『想い出のリバプール』、『チューズ・ラヴ』、『リンゴ・ラマ』。
リンゴ・スターの今世紀発売された6枚のアルバム。上段左から右へ『ポストカーズ・フロム・パラダイス』、『リンゴ2012』、『ワイ・ノット』。下段左から右へ『想い出のリバプール』、『チューズ・ラヴ』、『リンゴ・ラマ』。

 リンゴの21世紀に入ってからのオリジナルアルバム6作をふりかえってみよう。まずは2003年の『リンゴ・ラマ』。この作品の冒頭を飾るのが「アイ・トゥ・アイ」という歌で、2001年9月11日に起きた米同時多発テロ以降の「力には力を」という風潮に対してか「目と目を見つめ合おうよ」とするメッセージ・ソングであった。「お互いの目をじっくり見ればいい。世界を喜びと笑い声で満たしていこう。今すぐやろう、後じゃだめだ。平和、愛、そして調和。そんなに難しいことかい、簡単なことさ」と歌った。

 2005年発売のアルバムのタイトルは『チューズ・ラヴ』。リンゴは歌った。「しっかり経験を積まないとね。ブルースを歌いたいなら、何を選んでもいいけど、選ぶのなら愛だよ、愛、愛、愛」と。2008年の『想い出のリバプール』というアルバムも愛についての歌が満載だ。例えば「フォー・ラヴ」という作品では「真実の愛。君が本当にそれを知った時、愛のために行動を起こすのだ。愛のために、愛のために」と歌った。

 2010年のアルバム『ワイ・ノット』。そのタイトルソングでリンゴは訴える。「ぼくにはやるべきことがある。言うべきことがある。日々助けてくれる愛がある。越えていくべき橋がある。失ったものを惜しんだりしない。ぼくは実現しなければならない、平和と愛を」と。2012年の『リンゴ2012』というアルバムの冒頭は「アンセム」という歌で「これは平和と愛のアンセム。努力し続けよう。諦めてはいけない。今日がその日だ」と訴えた。「アンセム」(anthem)とは「聖歌」あるいは「国歌」という意味だ。

 リンゴの最新アルバム、2015年の『ポストカーズ・フロム・パラダイス』のタイトルトラックは、ビートルズやリンゴのソロ時代の曲名が30ほど連なっているユニークな作品だ。つまり、ビートルズやリンゴたちの歌というのは「天国からのポストカード」、天から降臨した、人々が共有すべき宝物であることを歌っているように思える。

 ジョン・レノンにはそのものずばり「ラヴ」(愛)という作品がある。発表されたのは70年だ。日本の俳句や禅にでも影響されたかのようなシンプルな歌詞を静かなピアノに乗せて歌い、彼一流の哲学を披露した。「愛とは真実。真実とは愛。愛とはフィーリング。フィーリングとは愛。愛とは、愛されたいと望むこと」、「愛は自由。自由は愛。愛とは生きること。愛を生きること。愛とは、愛されたいと求めること」と。

 ジョンは愛について、日本の音楽誌『ミュージック・ライフ』の73年1月号掲載のインタビューで次のように語った。「問題がどんなものであれ、その本質を探っていったとしたら、常にラヴの問題に突き当たると思います。人間だれでも心の底でもとめているものはラヴです。だから“オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ”(愛こそはすべて)というのは、正しいステートメントだと思います」。

 ポール、いやビートルズの愛についてのメッセージで一番印象深いのは、彼らの実質的なラスト・レコーディングとなったアルバム「アビー・ロード」の本編最後を飾る「ジ・エンド」の歌詞だ。「つまるところ、きみが得る愛はきみが与える愛に等しい」。辛口のジョンも彼一流のひねくれた表現で絶賛した。「ポールだって、思索しようと思えば、できることがこれでわかる」(「ジョン・レノンPlay Boy インタビュー」集英社)。

「心のラヴ・ソング/ポール・マッカートニー」の日本版シングル盤ジャケット。
「心のラヴ・ソング/ポール・マッカートニー」の日本版シングル盤ジャケット。

 解散後のポールの一番強烈な愛についてのステートメントは76年の作品「心のラヴ・ソング」(Silly love songs)だと私は信じている。ポールは甘いラヴ・ソングばかり書いている、中身がない、といった世間、特に音楽評論家といわれる人たち(もしかしたらジョンも)の意見に対して真っ向から反論し、啖呵をきって見せた歌であると思う。

 「世界にはもう十分なほどばかげたラヴ・ソングがあるとあなたは思うかもしれない。でもぼくが周りをみわたすとそうではないことがわかる。世界をばかげたラヴ・ソングでいっぱいにしたいと思っている人もいる。それのどこが悪いのだ。知りたいものだ。だからぼくはまた言うよ。アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー」。

 ジョージ・ハリスンは68年に次のように語っていた。「ぼくは祈りの力を完全に信じている。でもこれは愛に似ている。みんな『愛している』って言うだろ、でも問題は『君の愛はどのくらい深い?』ということなのだ。インドの宗教家マハリシ・マヘシ・ヨギはよく弓と矢にたとえていたね。弓をちょっとしか引けないと、矢はそんなに遠くへ飛んでいかない。でもずっと後ろまで引っ張ることができれば、矢を一番遠いところへ飛ばせる」(「ザ・ビートルズ・アンソロジー」リットー・ミュージック)。

 「マイ・スウィート・ロード」(70年)などの作品で神への愛については饒舌だったジョージ。しかし、私生活では70年代半ばまでに、妻パティが、親友エリック・クラプトンのもとに走ってしまい、傷心の日が続いていた。アルバム『ダーク・ホース』(74年)や『ジョージ・ハリスン帝国』(75年)では厭世的な面すら見せていたジョージ。

「愛はすべての人に/ジョージ・ハリスン」の日本版シングル盤ジャケット。
「愛はすべての人に/ジョージ・ハリスン」の日本版シングル盤ジャケット。

 そのジョージを救ったのが新たな愛だった。彼の会社の秘書をしていたオリビアと78年9月に結婚、息子ダニーを授かったのである。幸せいっぱいのジョージは79年に邦題『慈愛の輝き』というアルバムを発表、力強い歌声、澄み渡るギターを聞かせてくれた。そのアルバムのオープニング曲が「愛はすべての人に」(Love comes to everyone)だった。引き続き82年には「愛にきづいて」(Wake up my love)、87年には「ディス・イズ・ラヴ」という作品を発表することになる。

(文・桑原亘之介)

                           


桑原亘之介

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1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。