カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】戦争とビートルズ 徴兵制廃止で誕生したグループ

11016015740 日本人、中でもマスコミの人々がよく使う軍事用語が気になっている。例えば、記者たちを呼ぶ際にしばしば使われる「兵隊」。新聞社の記者などが部署ごとに行く社員旅行を称して使う「全舷」(ぜんげん)。全舷とは旧海軍の用語で船員の半数が寄港地に上陸して休暇をとり、半数が艦に残ることを「半舷(上陸)」と呼んだことからきている。

 比較憲法学の大家で現行日本国憲法の大切さを説いている樋口陽一先生がこういうことを言われたことがある。「戦後の日本は憲法、特にその9条のおかげで、戦前とは違って、軍事的なものに大きな価値を置かない社会となった。それゆえ、米軍基地周辺での騒音問題を訴えることが出来るし、異議を申し立てることが出来る空気が出来たのである」。

 しかし、その空気が変わりつつあるようにみえる。例えば、防衛庁が防衛省に「格上げ」されたり、防衛装備庁なるものが生まれたりしたことは、その戦後の人々の意識の流れに水を差すようにも思える。庁が省になっただけという声もあるかもしれないが、名は体を表すというではないか。そして、もちろん安全保障法制、特定秘密保護法といった動きも、そういった戦後の流れに背くのではないかと思える。

 ビートルズはもちろん平和論者だったし戦争反対の立場だった。

 ビートルマニアが盛り上がっているさなか、彼らは「反戦歌を歌わないのですか?」と問われて、ジョン・レノンが答えて言った。「ぼくらの歌は全部反戦歌だ」(「ザ・ビートルズ・アンソロジー」リットーミュージック刊)。

 そしてビートルズの五等勲功章(MBE)授与が1965年に決まった時には、多くの元軍人たちから勲章が返上されたと聞いたジョンは皮肉をこめて言った。「ぼくたちは平和的叙勲者だ。彼らは人を殺して勲章をもらったが、ぼくたちは人を殺さずにもらった」。

 ビートルたちが平和や反戦について大っぴらに口を開き始めたのは、マネジャーのブライアン・エプスタインが67年に亡くなってからである。ブライアンが彼らにベトナム戦争などについての政治的発言を禁じていたのだ。ブライアンの死後、せきを切ったようにビートルたちから政治的発言、行動が飛び出すことになる。

 ジョージ・ハリスンは語っていた「戦争に関係のあることは、みんな間違いだ。彼らはみんな(フランスとのトラファルガーの海戦で英国を勝利に導いた提督)ネルソンや(第二次世界大戦時の英首相)チャーチルらに心酔している。口にするのは戦争の英雄の話ばかり。『オール・アワー・イエスタデイズ』(という本)を読んでみなよ。イギリス人がドイツ兵をいかにあちこちで殺したことか。ぞっとするよ。彼らは杖をつきながら『軍隊に2,3年いればいいことがある』とぼくらに教えるような人々だ」。

DVD『ジョン・レノンの僕の戦争』(How I won the war)
DVD『ジョン・レノンの僕の戦争』(How I won the war)

 ジョンは67年にリチャード・レスター監督の映画『ジョン・レノンの僕の戦争』(How I won the war)に兵士役として出演した。戦争の愚かさをブラックユーモアでもって描いた作品だった。

 さらに69年にジョンは「平和を我等に」(Give peace a chance)というソロシングルを発表。「平和にチャンス(機会)を与えよう」というメッセージソングだ。ジョンとオノ・ヨーコが行ったモントリオールのホテルでの「ベッド・イン」という平和イベントの最中に仕上げ、その場で録音された。今日でも「平和の讃歌」として歌い継がれ、リンゴ・スターが彼の仲間たちとのライブではほぼ必ず最後に合唱する曲でもある。

「平和を我等に(Give peace a chance)/プラスティック・オノ・バンド」の日本国内シングル盤。
「平和を我等に(Give peace a chance)/プラスティック・オノ・バンド」の日本国内シングル盤。

 「ベッド・イン」は一部で興味本位に捉えられ、懐疑的な人もいた。しかし、ジョンは「ぼくらはこう考えていたのだ。毎日戦争が起きている。ニュースに出てくる戦争だけでなく、古いジョン・ウェインの映画を観ても、どんな映画を観ても、戦争、戦争、殺せ、殺せって、そればかりだ。たまには平和、平和って見出しを出そうじゃないか」と語った。

 そしてジョンは言った「今ぼくらがやっていることは、実際にはこれまでずっとやって来たことと何も違ってはいないのだ。ぼくらはずっと平和への意識を持っていた。初期のビートルズの歌にも出ているはずだよ。ビートルズが『愛こそはすべて』(All you need is love)を歌ったのと同じさ。ぼくは今、『平和こそすべて』と歌っているのだよ」。

 他の3人のビートルたちもジョンの平和運動に大賛成だった。ポール・マッカートニーは言った「みんなの目を平和に向けさせるための、すばらしい方法だった」。

 ビートルたちが生まれたのは第二次世界大戦でナチス・ドイツにリバプールが空襲をうけていた頃のことだった。戦後も英国には徴兵制度が残った。リンゴなどは徴兵を逃れてバンド活動を続けたいために工場で働いていたくらいだ。「ぼくは徴兵が怖くてたまらなかった。軍隊に入ると思うとぞっとしたよ。それで機械工見習いになったのさ」、「とにかく軍隊だけはごめんだったからね」とリンゴは振り返った。英国の徴兵制度は60年に廃止されることになる。最年少のジョージ以外のメンバーは軍隊に入らなくてよくなり、今日知られるビートルズの面子がそろうことになったのである。徴兵制度が無くならなかったら、ビートルズは生まれていなかったはずだ。

(文・桑原 亘之介)


桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。