カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】ビートルズの不思議三題噺 孔雀と羽と煙突と

其の一「孔雀」

1995年10月29日付英サンデー・エクスプレス紙の表紙。
1995年10月29日付英サンデー・エクスプレス紙の表紙。

 それは90年代半ばのとても晴れた日、英国はサセックスにあるポール・マッカートニーの家の庭を、彼とジョージ・ハリスンとリンゴ・スターがぶらぶらと歩いている時だった。彼らはビートルズの歴史を自ら振り返るというアンソロジー・プロジェクトの一環として再結集していたのだった。

 ポールの妻リンダも彼らと一緒にいた。芝生の庭の木の下にいる3人を写真に収めようとした彼女がファインダーをのぞくと、何か、そうジョン・レノンの存在、が足りないと強く感じたという。しかし現実に戻った彼女がまさにシャッターを押そうとしたその時だった。白い孔雀(くじゃく)が不思議なことにジョージの隣に現れたのだった(1995年10月29日付英サンデー・エクスプレス紙)。

 その白い孔雀が入った「4人」の写真は完璧に思えたという。ジョンが鳥に姿を変えて、ビートルズの「再結集」に承諾を与えたのではないだろうか。そのビートルズの25年ぶりの新曲は、ジョンの録音したデモテープに他の3人が手を加えて完成させた「フリー・アズ・ア・バード」という作品だった。

 「フリー・アズ・ア・バード」の終わりの部分にも不思議なことがある。テープの逆回転で作ったというエンディング部分に「ジョン・レノン」と聞こえる声が収録されているのだ。何だか「空耳アワー」のようになってきたが、興味のある方はご確認いただきたい。

其の二「羽」

CD『フリー・アズ・ア・バード』
CD『フリー・アズ・ア・バード』

 白い鳥といえば、こんな話もある。2009年6月17日付英デイリー・テレグラフ電子版によると、ジョンは長男のジュリアンに生前「もしおれが死んで、お前におれは大丈夫だ、我々は皆大丈夫だということを知らせる方法があるとしたら、おれは白い鳥の羽(a white feather)の形をしてお前の前に現れるだろう」と語っていたという。

 98年か99年のこと、ジュリアンがオーストラリアをツアーで回っていた時、彼は近づいてきたオーストラリア先住民(アボリジニ)から白い羽を手渡されて、彼らを助けてほしいと頼まれた。ジュリアンはのちにオーストラリア先住民と鯨についてのドキュメンタリー映画を制作。また彼らや他の苦闘している人々を助けるための基金を設立することになった。基金は「ホワイト・フェザー・ファウンデーション」(White Feather Foundation)と名付けられた。つまり「白い羽基金」ということだ。

其の三「煙突」

11016015943 ジュリアンには他にも忘れられない不思議な体験がある。

 それは父親ジョンが80年12月に亡くなった時の「超常現象」だ。

 日本の「ロッキング・オン」誌92年9月号に載った松村雄策氏によるインタビューで、ジュリアンは次のように語った。「あの頃、ぼくは家の屋根裏部屋を自分の部屋にしていたのです。そこで寝ていたら、突然屋根から部屋の中に煙突が崩れて落ちてきたのです。ぼくはわりとそういうことが分かるほうなので、なにかおかしいことが起こったなと思ったのです。あとから考えたら、それは本当に(父ジョンが)死んだ時刻だったのです」。

 ベッドから出て下に降りると、ブラインドが下ろされていた。ジュリアンがちょっと外をのぞくと、目に入ってきたのは芝生の上で待っている記者たちだった。そして彼は母シンシアの再婚相手だったジョン・ツイストから実父の死を知らされたのだった(米ローリング・ストーン誌85年6月6日号)。

(文・桑原 亘之介)


桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。