『犬も食わねどチャーリーは笑う』(9月23日公開)
裕次郎(香取慎吾)と日和(岸井ゆきの)は結婚4年目を迎える仲良し夫婦、というのは表向き。毎日、鈍感な夫にイライラする日和は、積もりに積もったうっぷんを、SNSの「旦那デスノート」に書き込み始める。そこには、夫たちが見たらゾッとするような、妻たちの恐ろしい本音の投稿がびっしりと書き込まれていた。
ある日、裕次郎も旦那デスノートの存在を知ってしまう。投稿者のペンネームはチャーリー。それは日和と一緒に飼っているフクロウの名前。ということは「これって俺のことか…」。果たして夫婦生活の行方は…。
ある夫婦のすれ違いとバトルを描いたブラックコメディー。監督・脚本は『箱入り息子の恋』(13)『台風家族』(19)の市井昌秀。
すれ違う夫婦生活の合間に挿入される、仲が良かった頃の回想があまりにも対照的で切なく映る。これが結構効果的だ。
互いに引かれ合い、結婚したのに、なぜ愛が憎しみに変わるのか。この映画は、それは夫婦とはそもそも他人であり、恋愛と生活は別であり、人間は思考やシステムではなく感情で動くからなどと説く。
結婚や夫婦生活に関する“あるある”が満載で、身につまされることも多々あり、笑いと怖さが同時に生じる。特に、この夫婦には子どもがおらず、2人だけで向き合わなければならないところがきつい。
けれども、裕次郎の同僚で、自身も旦那デスノートに参加している蓑山さん(余貴美子)と裕次郎とのこんな会話が救いになる。
「夫婦って何だと思います。分かんなくなっちゃいました」
「分かんないっていうのは正解かもね。うなぎのつかみ取りかな。触れたと思ったら、ぬるっとすり抜けちゃうじゃない。相手のことが分かった瞬間にまた分からなくなる。でも、つかむ努力をしないともっともっと分からなくなるんだ」
そして蓑山さんは、夫が病気で入院中だといい、「当たり前に一緒にいれて、当たり前に不満が持てて、それって全然当たり前なんかじゃない」と寂しげに裕次郎に告げるのだ。
このシーンこそが、この映画のテーマを端的に表していると思った。 香取、岸井が共に好演し、特に岸井がとてもチャーミングに映るから、ひどいことをしても憎らしくは見えない。これも監督の計算の内だったのだろう。
『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』(9月23日公開)
1968年、ザ・ビートルズが、『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム』)レコーディングの前に訪れたインドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの僧院で、偶然彼らと遭遇した23歳のカナダ人・ポール・サルツマンが、当時の模様を振り返りながら製作したドキュメンタリー。
メディテーション(瞑想)に傾倒しているデビッド・リンチが製作総指揮、モーガン・フリーマンがナレーションを担当。
サルツマンは、ビートルズのメンバーと一緒にメディテーションを学びながら、共に過ごした8日間を写真に収めた。それから50年、サルツマンがビートルズ研究者のマーク・ルイソンと共にインドを再訪する。
サルツマンとビートルズが交わる映像はないので、サルツマンの証言を基に、アニメーションで再現している。また、ビートルズが登場するドキュメンタリーなのに、彼らの曲が全く流れないのが、よくいえばユニークだ。
「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」のモデルになった人物、ミア・ファローの妹プルーデンスに捧げられた「ディア・プルーデンス」や「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」誕生の様子など、興味深い話題もあるが、当時ジョージ・ハリスンの妻で後にエリック・クラプトンと再婚するパティ・ボイドの証言が、最も印象に残った。
写真と証言と稚拙なアニメで構成された不思議なドキュメンタリー。サルツマンはずっと自分が撮ったビートルズの写真の存在を忘れていたと語っているが、果たしてそんなことがあるのか。ただ発表する機が熟しただけのことではないのか。また、マハリシのうさんくささが描かれていないところにも少々疑問が残った。
(田中雄二)