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【異聞中国トレンド】“飯碗は自分の手でしっかり持つべき” 中国の「退林返耕」政策の迷走

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 中国の東部に位置する河南省許昌市のエン陵県は、中国一といわれる花や苗木の生産地であり、地域の重要な産業であった。ただ、中国政府が新しい食料に関する「退林返耕(林地を農地に変える)」政策を打ち出し、地元の状況を一変させた。

 2022年8月に開催が予定された「エン陵の花と樹の大世界」というプロジェクトは、計約16億8千万元を投資する計画であったが、その「退林返耕」政策によって、中止されたのだ。

 中国政府はこれまで、花と苗木産業を振興するために積極的に推進し、大きな成果を収めてきた。それが、今になって、先ほどの大きなプロジェクトはもちろん、すでに花などを植えた土地も、政府の指示に従い、全部抜き除かれ、食料になる農作物に植え替えなければならなくなった。

 食料農作物への転換は、強引なやり方であるが、中国の食料安全保障を守るためだ、と言われると、従わなければならなかった。しかし、地元での抵抗も強い。政府系マスコミは報道しないが、個人のSNSに多くの映像がアップされていた。ある映像には、植えた木を強引に役人らに伐採される際、もめてしまい、けがをする人々の姿も確認できた。

 ▽“朝令暮改”?

 中国政府は約20年前から、環境保護を目的として、「退耕返林」の政策を推し進めていた。

 習近平政権が施政以来、食料安全を重視し、しばしば耕地の重要性に関する談話を公表している。食料については、「収益より安全がもっと重要だ」と強調されたことで、かつての「退耕返林」の政策も変調がでてきた。

 2022年の3月11日に開かれた全国人民代表大会では、中国農村工業部長の唐仁健氏が「退林返耕」の政策を公に言及し、農村で林地を農地に変える動きが加速された。

 同年10月16日~10月22日、中国共産党の20回全国代表大会が北京で開かれ、習近平政権の3期目入りが決まった。この大会で習氏は、食料安全を重視する姿勢を見せて、耕地の確保に号令をかけた。大会の報告で、彼は次のように話した。

 「全方位的に食料の安全の基礎を固めて、食料安全を確実に守ることは党と政府が同じような責任を担っている。18億亩(ムー)(1亩=約666平方メートル)耕地という赤いラインを固くして護(まも)るべきだ。中国人民の飯碗は必ず自分の手でしっかり持つべきだ」と。

 わずか20年で、それまでと真逆の農業政策が進められた。まさに“朝令暮改”だ。背景には、アメリカとの関係がこじれ続けていることがある。中国にとって、食料の最大輸入国はアメリカで、中国国内の大豆の約80%はアメリカ産を頼っている状態だからだ。

 「民以食為天(民は食を以て天と為す)」の中国であるのだから、もしアメリカなどが中国への食料品の輸出を政治的な理由で止めるなら、それこそ習近平政権の安定に最大の打撃になるだろう。

 アメリカのような民主主義国家が、食料輸出を止めて中国の人々を飢えさせるようなことは容易に想像できないが、独裁体制の国でしか政治家を経験してこなかった習近平氏にはそれを理解しづらいことだろう。

 だから無理して、林地を耕地にするまねをしてでも、食料の安全保障を強めたくなるのであろう。国内に対しても、コロナ禍による経済の落ち込み、外交面での孤立など、さまざまな問題から、食料安全を重視する姿勢を鮮明にすることで、世論の厳しい視線をそらすことができるからだ。

 ▽機嫌を損なわない

 強引に進められた「退林返耕」の政策に対する不満はかなり強い。政府系マスコミなども農民たちの困惑を引き起こしている、と認めたほどだ。困惑とは政府の機嫌を損なわないための言葉遣いで、本当の状況はもっと深刻であることは容易に想像できる。

 中国のポータルサイト「網易」に一部の地域で山の生態を破壊して、段々畑にされた映像が公開された。それを見た人々は「大雨のあとに土地が流されたような光景だ。破壊ではないのか?」などの書き込みがあった。

 四川省成都で今年5月、自宅の近くにある遊歩道に植えてあった植物が抜かれ、小麦などの農作物に植え替えられたと市民が市政府に通報し、批判が殺到した。これほど食料の安全にこだわるのは、台湾との戦争に備えているためではないか、と成都市民の間でうわさが出たほどだ。

 中国の食料の安全白書によると、2018年の国内備蓄は、9億1千万トンだったという。「退林返耕」の政策が一層進められると、備蓄量がさらに増える。その一方で、国内の多くの山地で木などが伐採され、農地に生まれ変わっていくだろうと思われたが、突然、中国政府から停止令が出されたのだ。

 今年6月25日、新華社が「『退林返耕』は偽の概念だ」と言う社説を掲載した。「退林返耕」は中国政府の政策ではなく、一部地方幹部の「作為」だと弁明したのだ。

 これで1年以上も続けられた「退林返耕」の茶番に終止符を打ちたいと中国政府が動いたようだが、中国の広大な面積を占める農村地域に、正確な情報が伝わるまでには時間が必要であろう。自然破壊がそれで止められるとは言い切れない。習近平氏が食料の安全保障政策に「飯碗が自分の手に」と宣言した以上、「退林返耕」はまた繰り返される可能性はゼロだと言い切れない。

 「退林返耕」の政策が中国国内のみならず地球規模で、自然環境にどのような影響を与えたのかは、まだよく分からない。ただ、中国政府は、その政策の迷走ぶりとともに、責任を持って影響について検証をし、明らかにする必要があるだろう。

(中国ウオッチャー・龍評)