ふむふむ

いつもそこに麻生太郎 【本田雅俊の政治コラム】

 岸田文雄首相は、20カ国・地域首脳会議(G20サミット)から帰国早々の9月13日、内閣改造・党役員人事に踏み切るという。マイナカード問題や物価高などで低支持率にあえぐ岸田首相は、今度の人事に内閣の命運を賭ける。「これで支持率が大きく上向けば衆院解散だが、上がらなければ万事休す、どこかから倒閣の狼煙が上がるだろう」(自民中堅議員)と見られる。

 季節の風物詩と化している内閣改造だが、衆院当選5、6回の入閣待望組にとり、「大学受験の合格発表以上にドキドキする」(閣僚経験者)ものらしい。事務所には認証式用のモーニングが用意されるが、不運にもお呼びがかからなければ、秘書によってそっと宿舎に戻される。首相によって新内閣の人選が「適材適所」と宣伝されるため、これまで閣僚として政権を支えてきた者たちにとっても、留任か交代かで道が大きく分かれる。

 腹を割って相談できる仲間が少ないためであろう、岸田首相が決める人事の情報は事前に漏れにくい。それでも観測を含め、マスコミ各社は既に「茂木敏充幹事長は留任のようだ」「森山裕選対委員長は引きつづき重要ポストで処遇される」「今度の改造で女性閣僚が増えるのではないか」などと報じている。

 そのような中、9月20日で御年83歳になる麻生太郎副総裁の続投が確実視されている。それに対し、かつて一緒に安倍晋三政権を支えた1歳年上の二階俊博元幹事長は、「今もすこぶる元気だし、千客万来の毎日」(二階派若手議員)とはいうものの、岸田首相に幹事長職を追い落とされてから往時の勢いはない。「発言がニュースになることもめっきり減った」(全国紙デスク)という。

 この四半世紀近く、一貫して政治の表舞台にいる数少ない政治家の一人が、ほかならぬ麻生氏である。2001年の自民党総裁選に挑んで大敗しながら、小泉純一郎政権では政調会長や総務相、外相の要職に起用され、その後、幹事長なども歴任した。第2次安倍政権以降は9年近くにもわたって副総理兼財務相を務め、岸田政権発足に伴い、今度は自民党副総裁となった。

 しかし、意外に忘れられているが、麻生氏は首相経験者である。のみならず、2009年の衆院選で当時の民主党に政権を奪われた時の首相である。その3年後に自民党が政権を取り返したが、麻生氏は「敗軍の将」としての十字架を背負ったはずである。だが、麻生氏は信仰上、フランシスコの洗礼名を持つカトリック教徒であるものの、当時の十字架はとうの昔から見当たらない。

 永田町には、「麻生さんはトップよりもナンバーツーが似合う」(自民参院議員)という見方さえある。確かにさまざまな星座占いによれば、おとめ座生まれの人は自ら先頭に立つよりも、補佐役のほうが力量を発揮できる。その意味では、麻生氏は針のむしろの首相在任中よりも、副総理や副総裁の方が自らの性格に適していて居心地がよく、永田町生活を謳歌できる。

 岸田首相にとっては政権の安定のためにも、麻生氏の副総裁留任は必要かもしれないし、麻生派の協力も見込める。それに加え、麻生氏は副総裁であっても、政権運営に過度な口出しはしないため、岸田首相にとって害ではない。だが、短期間ながらも首相を務めた者が「副」としていつまでも表舞台に居座り続ける光景は、外国人からはもちろんのこと、日本人から見ても摩訶不思議である。

 くしくも来年は、自民党副総裁が後継総裁を指名した「椎名裁定」からちょうど50年目の年に当たる。岸田首相が何かで大きくつまずき、またまた後継総裁を副総裁が指名するようなことにでもなれば、麻生氏の高笑いはまだまだ続くことになる。改造後の内閣支持率次第では、あながちあり得ないことでもないかもしれない。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。