昨年8月15日、指揮者の飯守泰次郎(いいもり・たいじろう)が82歳で亡くなった。飯守はワーグナー上演の聖地であるバイロイト音楽祭の助手として歴史的公演に参加後、東京シティ・フィル、名古屋フィル、関西フィル、仙台フィルの常任指揮者を歴任し、新国立劇場のオペラ芸術監督も務めた日本きっての巨匠。中でも東京シティ・フィルでは、ベートーヴェン全交響曲演奏会、ワーグナーの7作品公演など目覚ましい成果を上げている。
今回紹介するのは、飯守が亡くなる約4カ月前に行った東京シティ・フィル特別演奏会のライブ録音。演目は、オーストリアのロマン派ブルックナーの交響曲第8番である。本作は約80分を要する荘厳・壮大な音楽。規模の大きさと集大成的な充実度から、彼の交響曲の最高峰と称されている。
筆者は、この公演に足を運び、大いに感銘を受けた。驚かされたのはそのテンポ。ブルックナーの雄大かつ特別な作品を、82歳の大家が指揮するとなれば、遅いテンポの悠揚たる表現を想像する。ところが飯守は、速めのテンポによる気迫十分の音楽を展開した。全体に虚飾を排した直進的で引き締まった演奏。それでいてせせこましさはなく、深い呼吸感や造型の確かさは維持されている。これが至芸というものだろうか。
今回ディスクで聴いても、むろん大まかな印象は変わらない。第1楽章は厳しさを湛(たた)えながらストレートに突き進む。第2楽章になると、感情をぶつけるような激しさが現れ、中間部の表情の豊かさと音楽の広がりが際立つ。第3楽章は、各フレーズが美しく情感豊かに流れ行き、ごく自然に高揚する。第4楽章は新たな泉がコンコンと湧き出るかのごとし。しかもそれらが同じ方向に向かって流れを一にする。
ただし、ディスクで聴き直すと、引き締まった激しさだけでなく、第2楽章の中間部や第3楽章の味わい深さを改めて認識させられもする。それがCDの良さでもあろう。
東京シティ・フィルも入魂の快演で、飯守の指揮で長年演奏してきた強みを存分に発揮している。飯守も気心の知れた同楽団でなければ、この凄(せい)演は不可能だったに違いない。
本盤は、ライブを聴いた人には、それを追体験する、あるいは見直す良い機会となる。また初めて接する人には、巨匠が残した最後の演奏の一つ、そしてブルックナーの名作の稀有(けう)な表現を知る貴重なレコードとなる。
それにしても、80歳を過ぎたドイツ・オーストリア音楽の泰斗が、かくも前進的で覇気に満ちた演奏を聴かせるとは・・・。もし存命ならば、この先どうなっていったのだろうか? だが、それを耳にすることは、もうできない。(敬称略)
柴田 克彦(しばた・かつひこ)/音楽ライター、評論家。雑誌、コンサート・プログラム、CDブックレットなどへの寄稿のほか、講演や講座も受け持つ。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)、「1曲1分でわかる!吹奏楽編曲されているクラシック名曲集」(音楽之友社)。