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芸術は爆発だ! 東京都美術館で「展覧会 岡本太郎」開催中 来年1月14日からは愛知県美術館へ

岡本太郎 Ⓒ岡本太郎記念現代芸術振興財団
岡本太郎 Ⓒ岡本太郎記念現代芸術振興財団

 「芸術は金持ちや一部のファンだけのものでなく、大衆のものである」
 「芸術はありがたがるようなものでなく、道端の石ころと同じだ」

 これらはいったい誰の言葉だろうか?
 ではこのセリフでどうだろう――「芸術は爆発だ!」
 そう、日本で一番知られている芸術家の一人、岡本太郎である。

 そんな異彩を放った芸術家の最初期から晩年までの代表作・重要作を網羅する大回顧展「展覧会 岡本太郎」が東京都美術館(台東区上野公園)で12月28日(水)まで開催中。

 開室時間は午前9時半から午後5時半(金曜日は午後8時まで)。休室日は月曜日。観覧料は、一般1,900円、大学生・専門学校生1,300円、65歳以上1,400円、高校生以下無料。ただし日時指定予約が必要。詳しくは公式サイトで。

 来年1月14日(土)から3月14日(火)までは愛知県美術館に巡回する。

 岡本太郎は1911年に神奈川県川崎市で生を受けた。29年に渡仏した岡本は、抽象表現に影響を受けながら画家としてのアイデンティティーを確立していく。

 帰国後、自らの芸術理念の核となる「対極主義」を提唱し、制作のみならず「今日の芸術」、「日本の伝統」などの著作において文化・芸術論を展開した。

 70年開催の大阪万博のテーマ館「太陽の塔」を頂点とするパブリックな空間に展開される巨大な彫刻や壁画など、生活の中で生きる作品群は、「芸術は大衆のものである」という岡本太郎の信念そのものを象徴し、それ故に没後もなお、多くの人々を引きつけている。

 表現活動が多岐にわたることから「何が本職なのか?」と問われることも多かった太郎の答えは「人間――全存在として猛烈に生きる人間」だった。

 未知なるものへの不安・怖れに果敢に孤独に切り込んでいった彼の表現活動は、小さな枠にとらわれることなく世界に対して「己全体を賭ける」ことであり、人間としての根源的な営みの豊かさを人々に喚起する試みであったといえよう。

 太郎の思想・生きざまが込められた作品を体感することは、不安定な状況が続く現在の社会を力強く生き抜いていくためのヒントを見つける機会になるかもしれない。

 同展は6章から成る。

 〇第1章「“岡本太郎”誕生―パリ時代」――1929年、18歳の冬に家族とともにヨーロッパに渡った岡本太郎は、単身パリに残って芸術家を目指し始めた。ピカソの作品との衝撃的な出会いを経て独自の表現を模索していく中、前衛芸術家や思想家たちと深く交わり最先端の芸術運動に身を投じていく。代表作「傷ましき腕」や「空間」など、パリ時代の作品を通して、“岡本太郎”誕生の背景を探る。

 〇第2章「創造の孤独―日本の文化を挑発する」—―第二次世界大戦の勃発により約10年間滞在したパリから帰国した太郎は、中国戦線へ出征、捕虜生活を経て1946年に復員した。
 戦後、旧態依然とした日本の美術界に接し、その変革を目指し「夜の会」を結成。抽象と具象、愛憎、美醜など対立する要素が生み出すあつれきのエネルギーを提示する「対極主義」を掲げ、前衛芸術運動を展開していく。「森の掟」や「地下鉄」などの代表作を含む1940~50年代に描かれた作品とともに、アバンギャルドの旗手としての芸術的成果を振り返る。

 〇第3章「人間の根源―呪力の魅惑」—―前衛芸術運動を推し進める一方、太郎は日本文化のありかたにまなざしを投じる。太郎に大きな刺激を与え、それまでの作風を変える契機にもなった1951年の縄文土器との出会いや、東北から沖縄に至る日本各地のほか、韓国やメキシコなどを含めた広大なフィールドワークに着目する。各地で撮影した写真に込められた民俗学的洞察と日本文化への視座を提示する。その後の「太陽の塔」につながる60年代の呪術的な世界観をのぞくことができる、エネルギー溢れる作品群を一望する。

 〇第4章「大衆の中の芸術」—―芸術とは生活そのもの、そう考える太郎にとって衣食住をふくめた人々の生活のすべてが表現のフィールドだった。1952年に絵画の工業生産化の提案として制作したモザイクタイルを用いた作品「太陽の神話」をきっかけに、既成のジャンルを飛び越え、積極的に社会に飛び出していった太郎の好奇心と発想力を紹介している。

 〇第5章「ふたつの太陽―<太陽の塔>と<明日の神話>」――「人類の進歩と調和」を掲げた1970年の大阪万博、その「テーマ館」のプロデュースを依頼された太郎は、人間にとっての真の「進歩と調和」は、科学技術の推進に限るものでも、同調や馴れ合いによるものでもないとし、あえてテーマとは真逆の価値観ともいえる、人間の太古からの根源的なエネルギーを象徴させた「太陽の塔」を制作した。並行して描かれたのが現在渋谷駅に設置されている幅30メートルの巨大壁画「明日の神話」。原子爆弾を主題に人類の「進歩」に内在する負の側面を見据え、それを乗り越えていく人類の未来への期待が込められている。この「ふたつの太陽」について、太郎が残したドローイングや資料とともにその現代的意味を考える。

 〇第6章「黒い眼の深淵―つき抜けた孤独」—―大阪万博を経て岡本太郎の存在はより広く大衆に受け入れられるようになる。81年の「芸術は爆発だ!」と叫ぶCMをはじめ数多くの番組に登場し、日本で最も顔を知られる芸術家になっていった。しかし、絵画制作への意欲は衰えることはなかった。1996年に太郎はこの世を去るが、その直後から再評価の機運が高まっていった。その陰には50年に渡り秘書として太郎の活動を支えた岡本敏子の存在があった。敏子の尽力により太郎の芸術や著作、そして力強い言葉は、人々に生きる勇気を与え、世代を超えて受け継がれている。

 「面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ」