19世紀末のパリ、ベル・エポック(美しき時代)を彩り、アール・ヌボーをけん引したアルフォンス・ミュシャの作品400点余りが紹介される「アルフォンス・ミュシャ展」が4月7日(金)から6月4日(日)まで八王子市夢美術館で開催される。
ミュシャの描く優美な女性像は人気を集め、商業ポスターや装飾パネルなどに多く起用された。同展では、栄光のパリ時代から故郷チェコに尽くした晩年までを俯瞰(ふかん)する。
開館時間は午前10時から午後7時まで(最終入館時間は午後6時半)。休館日は月曜日。観覧料は一般800円、学生(高校生以上)・65歳以上は400円、中学生以下は無料。連絡先は042-621-6777。 1860年、民族意識の濃いモラビア地方の村イバンチッツェ(現チェコ共和国)に生まれたミュシャは、27歳の時にパトロンの援助を受けて、パリ留学を果たす。援助が終了すると挿絵画家として細々と生計を立てていたが、34歳の時に転機が訪れる。
当時パリで名高かった女優サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」の宣伝用ポスターを手掛けたことで、一躍時代の寵児(ちょうじ)となったのだ。大反響を呼んだミュシャのポスターは、サラの心をもつかんで、6年間のポスター制作契約を結ぶに至った。
その後、ミュシャのもとには、ポスターのみならず装飾パネル、カレンダー、商品パッケージなどさまざまなデザインの依頼が殺到。
とりわけ装飾パネルは、リトグラフで制作することで大量生産と安価での販売が可能となり、富裕層の特権であった芸術を、一般市民にまで広める役割を果たした。
そして何よりも、優美な女性像と草花の有機的な曲線美を活かしたデザインは、「ミュシャ・スタイル」というデザインのひとつのジャンルを確立し、ついにミュシャはアール・ヌーボーを代表する芸術家にまで昇りつめた。
1900年の第5回パリ万博では、ボスニア・ヘルツェゴビナ館の装飾などの依頼を受けたが、それは晩年の「スラヴ叙事詩」制作への足掛かりとなった。ミュシャはこのあと、商業的な仕事から距離を置き、後半生を祖国チェコとスラブ民族にささげることになる。
1910年、ミュシャはチェコに帰国。祖国に戻ったミュシャは「スラヴ叙事詩」制作と並行して、プラハ市民会館の壁面装飾のほか、1918年にチェコスロバキア共和国が独立すると、切手や紙幣など新国家に関連するあらゆるデザインを無報酬で引き受けた。
会期中の土・日曜日を中心に5~6回程度、コレクターの尾形寿行氏によるギャラリートークを開催する予定。申し込み不要で無料。事前にホームページなどで案内する。