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軽井沢安東美術館で企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」開催 「猫の教室」など初公開作品5点を含む約120作品!

企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」
企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」

 企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」が軽井沢安東美術館(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10)にて3月3日(金)から9月12日(火)まで開催される。

 今回の企画展では、藤田が約1年のニューヨーク滞在中に描いた貴重な作品《猫の教室》(1949年)が初披露される。藤田は、躍動感あふれる猫たちを表情豊かに、ユーモアたっぷりに描いている。また、同館開館のきっかけとなったコレクションの最初の1点《ヴァンドーム広場(魅せられたる河)より》(1951)のほか、全5点の初公開作品がある。

 藤田作品の代名詞である「乳白色の下地」の裸婦像も含まれるとともに、それぞれの時代ごとに藤田の画業を代表する、多彩かつ貴重な作品がおよそ120点紹介される。

 同美術館は、日本で初めて藤田嗣治(1886-1968、洗礼名レオナール・ツグハル・フジタ)の作品だけを常設展示する美術館として2022年10月にオープンした。安東泰志(あんどう・やすし)・恵(めぐみ)夫妻の貴重なコレクションだ。

 本展の初公開作品5点は以下の通り。《猫の教室》油彩、カンバス(1949年)——藤田は1920年代から人物像とともに動物をよく描いているが、擬人化された動物が登場するのは1947年以降のこと。本作品は、同じくニューヨークで同年に制作された、狐の家族を擬人化した作品「ラ・フォンテーヌ頌」をほうふつとさせる躍動感、繊細な筆遣い、そして豊かな色合いに満ちている。猫の作品という枠組みを超えて、この時代の藤田を代表する貴重な作品の一つといえる。

 《腕を上げた裸婦》油彩、カンバス(1924年)——エコール・ド・パリのなかで藤田が「破格の成功」を収めることとなった「乳白色の下地」と呼ばれる新しい絵画技法の作品。1923年の第16回サロン・ドートンヌに出品した「五人の裸婦」(東京国立近代美術館所蔵)のうち、左から二番目の女性と同じ構図で描かれた貴重な作品である。

 《雪》グワッシュ・水彩、紙(1949年)——日本で戦争責任を追及された藤田は、やがて祖国を離れニューヨーク経由でフランスへ戻る決心をする。1年弱のニューヨーク滞在中に西洋の名画・文化と再び出会ったことで大いに刺激を受けた藤田は、多くの名作を生んだ。この作品はニューヨークで開催された個展に出品された希少な作品のひとつ。

 《猫を抱く幼いグレコ》墨、紙(1953年)——歌姫ジュリエット・グレコの結婚式に藤田がお祝いとして贈ったもの。定期的に藤田のアトリエに足を運んでいたグレコは、ある時は幼少時代について、またある時は苦悩について語り合ったといわれている。そんな少女時代のグレコの面影を残したまま描かれたもので、二人が深い友情で結ばれていた証である。

 《モランディエールの肖像》鉛筆、紙(1934年)——1934年8月、藤田がマドレーヌを連れて軽井沢を旅行したことがわかっている。この作品のモデルはフランス法学者で、当時、日仏会館所長を務めていた藤田の友人、レオン・ジュリオ=ド=ラ=モランディエール。「軽井沢にて(ā Karuizawa)」と記されたこの肖像画は、藤田と軽井沢との関係をひもとく貴重な作品である。

 特別展示「藤田嗣治と日本文化 パリにおける『本のしごと』」が同時開催される。3月3日(金)から8月1日(火)まで。藤田が脚光を浴びた1920年代半ば、第一次世界大戦を経て日本が世界の仲間入りを果たした時期にあたり、「第二のジャポニズム」ともいえるような動きが見られるようになる。

 この潮流を受けて藤田は、日本をテーマとした挿画本に深く関わっていく。そして日本をテーマとした「本のしごと」は、戦後、パリに戻った1950年代にも確認できる。今回、挿画本コレクションのなかから、特に日本文化と藤田をテーマにした作品が紹介される。

軽井沢安東美術館外観
軽井沢安東美術館外観

 開館時間は午前10時から午後5時まで。休館日は水曜日(祝日の場合は開館。翌平日が休館となる)。観覧料は一般2300円、高校生以下1100円、未就学児無料。チケットはオンラインでも購入可能。詳細は美術館の公式サイトまたは0267-42-1230まで。