大政奉還とは何だったのか? 「志国高知 幕末維新博」企画展には本物だからこそ感じられる何かがある

高知城歴史博物館。
高知城歴史博物館。

 今からちょうど150年前の1867年(慶応3年)10月14日、徳川慶喜が朝廷に大政奉還を上表し260年以上続いた江戸時代が終わりを迎えた。

 大政奉還から150年を記念し、幕末から明治にかけて多くの偉人を輩出した高知県では、観光博覧会「志国高知 幕末維新博」が今年の3月から県全域で開催されている。会場は高知県内の歴史文化施設など多岐にわたるが、メイン会場の「高知城歴史博物館」では、9月15日から企画展「大政奉還と土佐藩」が始まった。

 もはや坂本龍馬の活躍は言わずもがなだが、日米和親条約締結から大政奉還までの10年間、日本の歴史に名を連ねる人物を輩出した土佐藩や土佐ゆかりの志士たちが激動の時代をどのように考え、土佐藩で何が起きていたのか? 特に大転換期を迎える1867年(慶応3年)。大政奉還に至るまでを手紙や資料から振り返り、志士たちの生の言葉から激動の時代を感じてはどうだろうか。

大政奉還建白書 写。山内容堂が15代将軍徳川慶喜に提出した建白書の写し。
大政奉還建白書 写。山内容堂が15代将軍徳川慶喜に提出した建白書の写し。

 今回の企画展「大政奉還と土佐藩」の目玉は、1867年10月3日に前土佐藩主の山内容堂が15代将軍徳川慶喜に提出した建白書の写し。建白書というと固いイメージだが、要は幕府に対する提案書だ。「誠惶誠忠、謹んで建言仕り候(おそれながら将軍徳川慶喜へ建言申し上げます)」から始まるこの建白書の中で注目すべき部分はこちら。

――唯幾重にも、正明正大の道理に帰し、天下万民と共に皇国数百年の国体を接し、王政復古の業を建てざるべからざるの一大機会と存じたてまつり候。

 要約すると「ただ幾重にも願いますのは、正明正大の道理に帰し(鎌倉幕府以来の武家政権を朝廷に奉還し)天下万民とともに王政復古を成し遂げる、この一大機会を逃さないでいただきたいということです」となり、慶喜が大政奉還を朝廷に上表する直前に、山内容堂が慶喜に提案したことがうかがえる。

 建白書のほか、山内容堂が老中の内藤信親に提出した過激な意見書も展示。あまりにも過激な内容だったため老中から突き返されたものだが、これらの内容からも山内容堂の性格が伝わってくる。こういった資料だけでなく華やかな「陣羽織」も展示されている。なんとも大胆で豪快でかつ繊細、そしてオシャレな藩主だ。

緋羅紗地数珠文陣羽織(ひらしゃじじゅずもんじんばおり)山内容堂所用の陣羽織。大胆なデザインでオシャレ。
緋羅紗地数珠文陣羽織(ひらしゃじじゅずもんじんばおり)山内容堂所用の陣羽織。大胆なデザインでオシャレ。
茶糸威二枚銅(ちゃいとおどしにまいどう)山内容堂所用の鎧。
茶糸威二枚銅(ちゃいとおどしにまいどう)山内容堂所用の鎧。

 高知県の尾﨑正直知事は企画展の開催にあたり「大政奉還という日本の歴史的な転換期において土佐藩は大きな役割を果たした。どれだけ多くの人々が命がけで携わって、それがいかにして行われていったのか。本物の資料をたどって本物の歴史として味わうことができる企画展だと自負している」と語った。

尾﨑正直 高知県知事(写真右)と渡部淳 高知城歴史博物館館長(同左)。
尾﨑正直 高知県知事(写真右)と渡部淳 高知城歴史博物館館長(同左)。

 今年3月から始まった「志国高知 幕末維新博」は、すでに95万人を超える人が県内の全会場を訪れている。メイン会場の高知城歴史博物館の入場者は半年間で13万人を超え、年間目標とした12万人を大きく超えた。特に、地方の中山間地域にも従来の3倍近い人が訪れているという。地域の歴史にふれるとともに、自然とおいしい食べ物も好評のようだ。

 10月7日からは龍馬から後藤象二郎に宛てられた手紙を高知城歴史博物館で公開。山内容堂の建白書を受けた将軍慶喜が1867年10月13日、京都の二条城に各藩の代表を集め大政奉還が決まったが、登城する後藤象二郎を龍馬が激励する内容が書かれている。文面から二人の熱気が感じられる手紙だ。

 高知県で本物の歴史にふれ、志士たちを育んだ自然環境とおいしい食べ物が堪能できる「志国高知 幕末維新博」はまだまだ続くぜよ。