日本人が一度は訪れなければならない旅行先があるとすれば、それは台湾だ。距離的にも文化的にも近く、気軽に渡航できる。また、2023年に日本を訪れた台湾人は約420万人とほぼ新型コロナウイルス禍前の水準を回復しているが、日本人の訪台客数は約93万人でコロナ前の4割程度にとどまっている。しかし、そうしたことはあまり関係ない。沖縄南方の海に浮かぶ九州ほどの大きさの土地、そこで歴史を織りなしてきた人々の生活や習慣、そうしたもの全てが一体となって、それが運命であったかのように迎えてくれる。
台湾の旅のキーワードは「光」と「時空」だ。今回は南部、台南で開かれた年に一度の光の祭典「台湾ランタンフェスティバル」をハイライトとして旅程を組んだ。台湾は、日本以外の東アジア一帯の国・地域がそうであるように旧暦で正月を祝う。ランタンフェスティバルは、「元宵節」と呼ばれる旧暦1月15日(今年は2月24日)に提灯(ちょうちん)をともして、吉祥を祈る風習からきているとされるが、今では全台湾を挙げた国際的イベントだ。開会式の参加者は23万人。蔡英文総統が「みんなで良い一年にしましょう」とあいさつし、今年の干支(えと)である高さ22メートルの龍のランタンが点灯された。民衆信仰の対象である媽祖、日本など海外の交流都市の出展など300以上の作品が並び、約2週間展示された。
台湾というところは、国や地域としてのサイズが実にちょうどいい。面積約3万6000平方キロ、人口約2300万人は、それぞれ日本の10分の1、6分の1程度。もし日本で国を挙げてこのようなイベントを行おうとすれば、反対する人や全く無関心な人がたくさん出てくる。もちろん台湾にも斜に構える人はいるだろうが、日本ほどの規模になるとそういう人も無視できない存在感を持ってしまう。その点、台湾はほどよくこぢんまりしていて、ほどよく一体感がある。この「ほどよさ」は、例えば五輪で代表選手を応援する時や、民主や自由といった価値観を守ろうとする時などにも効力を発揮するだろうし、出会った人の人格を理解していくように台湾のことを知りたいと思っている旅行者にとっても都合がいい。 ところで、各都市持ち回り開催のランタンフェスティバルの今年のテーマは「台南400」。台南の始まりは1624年にオランダ人がこの地に交易拠点を置いてからで、台湾で一番古い町だ。会場には、当時の大航海時代をモチーフにした巨大なクジラと海を表現したランタンもあった。外国旅行で行くべきは、その地で「古都」と呼ばれているところだ。歴史を積み重ねてきた町には、ほかにない魅力があり、台南も例外ではない。
オランダ人が築いた拠点「ゼーランディア城」は、現在は「安平古堡」という名の史跡になっている。一部が残る城壁や、展望台がある中央部分の石塁は赤レンガづくりで、所々にガジュマルの木が絡む美観が心地よい。オランダ人の支配をわずか三十数年で終わらせ、ここの主になった鄭成功の銅像も立っている。明朝末期から清朝初期にかけ東アジアの海を股にかけたこの快男児は、母親が日本人、父が中国大陸福建人という今で言うハーフ。近松門左衛門の人形浄瑠璃「国性爺合戦」の主人公にもなったが、日本での人気はなぜかいまひとつ。日本史の規格に収まらないスケールが故なのか。その雄姿は今、台湾の地に溶け込んでいる。さらに「税務司」だったという建物を利用した小ぶりな博物館もあり、オランダ人来航以前の先住民の生活から歴史が分かるようになっている。
台湾史を語る上で外せないのが、1895年から50年に及んだ日本統治時代だ。ランタンフェスティバルの記者会見で台湾観光庁の周永暉長官は「当時の面影が最も残っているのが台南。日本のみなさまは、ぜひここに来て過去を体験し、今の時代を感じてほしい」と呼びかけた。
象徴的な観光スポットの一つが中心部の「林百貨店」だ。大正モダン全盛だった1932年に山口県出身の実業家、林方一氏が創立。戦後の一時期は空きビルになったが、台湾政府と台南市が修復。現在は、民間事業者に賃貸され、百貨店として営業されている。外観、内装ともレトロな雰囲気が漂い、屋上は米軍の空襲痕も残されている。
もっと全身全霊で歴史を感じたければ、市内の裏路地に入るといい。今回は「兌悦門」という小さな城門から入る信義街を訪れた。車が入れないほどの狭い通りの両側に当時をしのばせる建物が並ぶ。映画のセットにでも入り込んだような気分で「時空の旅」に浸っていると、現代台湾の象徴たる勇猛なスクーターが脇をすり抜けていく。特に観光用に保存されているのかとも思ったが、ガイドによるとこういう場所は「至る所」にあるのだそうだ。内部を改造して飲食店になっているところもあり、1軒に入った。そこでは、各卓にお櫃(ひつ)が配られ、白米をよそったご飯茶わんを取り皿にしておかずをいただく。ことさら日本式をアピールしているふうでもなく、その土地で受け継がれてきた料理に、ほんのりと歴史の味つけがされているといった感じだ。
さて、「光」と「時空」の旅を続けるにあたって、台湾の高速鉄道(高鉄)に触れたい。開業は2007年1月。台湾の西海岸に沿って台北の「南港」から高雄の「左営」までの12駅、約345キロを走る。車両は日本の新幹線型で、日本にとっては初の新幹線技術の輸出だった。当時はフランスTGVやドイツICEも競ったという。ちなみに、欧州の高速列車は座席の回転はできず対面式で固定されている。もし欧州型が採用されていれば、旅情も今とは違ったものになっていただろう。不思議なもので、同じ型の車両を使っていると駅のホームのたたずまいや、乗客のしぐさやマナーも似てくるようだ。その上、車窓の風景も驚くほど日本とそっくり。よく日本の象徴的風景として、水田の中を新幹線が走り背景に富士山がそびえているポスターなどがあるが、山が富士山でなく、車両のラインが青の代わりにオレンジのバージョンと言えば分かるだろうか。(<中>に続く)