社会

沈黙のライカが問うもの 【サヘル・ローズ✕リアルワールド】

 夜空を見上げるたびに、1匹の小さな犬のことを思い出す。

 1957年、旧ソ連の宇宙船に乗せられた犬「ライカ」。

 モスクワの街角で保護されたライカは、人に寄り添うように生きていたという。

 けれど、その穏やかな命は、地球の外へ生命を送り出すための実験に使われることになった。地球に帰ってこられないと分かっていても、ライカは人間のために空へ。

 世界が新しい時代が来たと未来を見つめていたその時、ライカの小さな体は強い熱と恐怖に包まれていたはずです。小さな鼓動がどれほど速く打っていたのかを思うと、あの時代を生きたわけではないが、胸の奥が痛くなる。

 この出来事は人類の進歩だと言われてきたが…。

 でも、見えない犠牲をも静かに残したと思っています。

 技術とはいったい何なのでしょうか。

 暮らしを楽にし、遠くにいる人ともつながることができ、病気を治す力にもなる。

 けれども、その裏には、誰かを傷つけた歴史も確かにある。

 ロケットも、通信も、医療も、人を助ける力と傷つけてしまう可能性のある力の両方を抱えて進歩している。そして今、人類はまた新しい形で同じ疑問の前に立っている。戦地には、もう人間の兵士だけが立っているわけではない。

 人の代わりに動く機械が空を飛び、遠くから操作される装置が攻撃を行う。

 兵士を守るためだという説明もあるが、その先には暮らしを営む家族や子どもたちがいる。画面越しの映像だけでは、その小さな手や、夕食を待つ家族の声は聞こえてはこない。

 人の姿が消えていく戦争は、痛みの実感を奪ってしまいます。

 犠牲になった命が見えにくいほど、わたしたちの想像力は弱っていくのかもしれないです。技術が前へ前へと進むほど、足元に落ちている大切な疑問が置き去りになっていく。

 本当に必要なのか。本当に守りたいものは何なのか。その先で誰かの人生を奪っていないのか。

 わたしはこれまで、さまざまな場所で子どもたちと出会ってきた。難民居住地で暮らす子どもたちは、厳しい環境にいながらも、生きたいという光を目に宿しています。

 青空の下で、泥だらけの足で走り回る姿を見るたびに、人間の力を信じたくなるんです。

 けれど、その頭上を、人ではなく機械が飛んでいく時代になった今、その光が見えにくくなってしまうのではないかと、不安をも感じています。

 技術は、人を守るために使われてほしい。

 けれど、誰かの表情も声も届かないまま、人を傷つける力に変わることも事実。

 それがわたしたちの未来に、どんな景色をつくってしまうのか。考えれば考えるほど、答えは簡単には見つからない。

 ライカは声を持たなかった。

 だからこそ、あの沈黙はわたしたちへの問いだったのかもしれない。

 わたしたちは進歩の前で何を差し出してきたのか。そして今、その先で何を失いかけているのか。

 科学の歩みは止められない。

 技術が人間を超えるためではなく、「人間らしさ」を守るために働く未来であってほしい。

 失われた命の先に、本当に必要な世界があるのか。

 誰も取り残さない使い方ができるのか。

 問い続けることこそが、わたしたちに残された大切な役目だと思っています。

 

サヘル・ローズ 俳優・タレント・人権活動家。1985年イラン生まれ。幼少時代は孤児院で生活し、8歳で養母とともに来日。2020年にアメリカで国際人権活動家賞を受賞。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.10からの転載】