8月中旬、私はウクライナを訪れました。戦争(ロシアによる侵略)の影響を受ける子どもたちへの支援と、そこで暮らす人々の置かれている現状を自分の目を通して知りたいと思い、ご縁をいただき、リヴィウと首都キーウへ。
日本でウクライナのニュースを見ると、「ドローンの数」「亡くなった人々の数」という情報が多く伝えられます。
その数字の中で、今日も生きている人々の生活を、私はどれほど想像できていたのだろうか。
例えば「ドローン」と聞くと、撮影などに使う小さな機体を想像しませんか? 「攻撃用」は全長3メートルを超え、翼も2・5メートル以上。数十キロの爆発物を搭載できる、攻撃型の無人機なのです。
ウクライナでは毎朝9時になると亡くなった人々、戦場で今も戦っている人々のために黙祷をしています。
そして街中で空襲警報が鳴り響き、アプリをダウンロードした私の携帯電話にもアラートが届きます。中には、携帯電話の空襲警報を切っている人々もいました。
最初は驚きました。4年以上、鳴り止まない警報と暮らし続けるとは、どういうことなのだろう。長い時間、緊張と隣り合わせで暮らしてきた事実を考えずにはいられませんでした。たとえ通知を消しても、街中の警報は鳴る。その中で生活は続いていく。
日常の中に戦争があるのか。いや、戦争が日常の中に入り込んでしまったのか。
夜になることを怖いと感じている人々にも会いました。
昼間は人が歩き、店も開いている。
でも暗くなると、また警報が鳴る。
そしてどこかで爆発音が聞こえ、夜空が赤く燃える。

私自身、10日間の滞在でも、夜が近づくと身構えるようになりました。これをウクライナの人々は4年半以上耐えている。
そう感じた時に子どもたちのことが頭から離れませんでした。
警報の音を聴きながら育つこと。
夜中に爆撃音で起こされること。
大人の不安を見続けること。
家族の帰り、大切な人を待ち続ける不安な日々を迎えること。
大人も子どもも同様に、人々の心にはいったい何が残っていくのだろう。
退役軍人の方々にお会いした時に、戦争は前線だけにあるものではないと感じました。身体と心に傷を抱えて帰ってきた人。その人を迎える家族。
戦地から戻ったとしても、治療、リハビリ、仕事、家族との関係…。侵略は、その後の人生にも入り込んでいく。
私はウクライナの人々の気持ちが分かったとも、何かを語れるとも思っていません。
むしろ、行ったことで簡単には語れなくなりました。特に「平和」という言葉です。
攻撃が止まれば、それが平和なのか。
安心して眠れることなのか。
家族が帰ってくることなのか。
奪われた日常を取り戻すことなのか。
答えは、一人一人違うのだと思います。
現地で強く感じたことがあります。戦争とは、当たり前だった日常を変えてしまう。
それでも、人はそこで「今日」を生きなくてはいけない。
ニュースの数字の向こうには、今日も仕事へ行き、子どもを育て、誰かを心配し、明日のことを考えている人々がいます。
戦争とは何なのか。
帰国した今も、私は自問自答を続けています。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.39からの転載】

俳優・タレント・人権活動家。1985年イラン生まれ。幼少時代は孤児院で生活し、8歳で養母とともに来日。2020年にアメリカで国際人権活動家賞を受賞。







