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【コラム】何なんだ、この「そうそう」感は! 「かんたん短歌」の提唱者・枡野浩一さんに会いに行った

枡野浩一さん
枡野浩一さん

 「正義感あじわいながら気持ちよくいじめたいから起こる炎上」
 「流行が終わるころには新作の発表がある世界の病気」

 うん、世の中を鋭く斬っている。辛口評論家のコメントだろうか?
 いえ、歌人の枡野浩一(ますの・こういち)さんの作品である。

 枡野さんが詠む短歌が若者を中心に広く支持を集めている。散文のうえで短歌をつくること、現代語の自然な言葉を使って短歌をつくることが信条だ。

 2022年9月に出た『枡野浩一全短歌集 毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』(左右社)の売り上げが好調で、すでに五刷となっている。

 これらの短歌を読んで、枡野さんのことを社会派なのかと思う人がいるかもしれない。
 確かにそうだが、それだけではない。しゃれっ気もある。

 「差別とは言わないまでもドラマではホステスの名は決まってアケミ」
 「寅さんの看板を見てガキのころ「つらいのやだ」と思った男」

 枡野さんが短歌に初めて触れたのは18才の時。母親が俵万智さんの『サラダ記念日』の初版を買ってきて、それを読んだのがきっかけだった。

 「二十歳の時に大学を辞めて、予備校に行きました。その時に短歌をたくさん作るようになったのです。電車の中とか、細切れの時間があれば、そこで作れた。時間が無くて追いかけられている時に生まれたりするのです」と枡野さんは語る。

 大学受験はうまくいかず、枡野さんは広告会社でコピーライターとして働いた。音楽ライターだったこともある。そうこうするうちに、角川短歌賞に落選してしまう。しかし、中森明夫さんが落選作をまとめてくれた。それが本を出すことにつながっていったという。

 1997年、短歌絵本『てのりくじら』、『ドレミふぁんくしょんドロップ』を2冊同時発売して歌人デビュー。「短歌を詠む人は『結社』に属して、そこには偉い先生がいるというようなヒエラルキーがあった時代でした。私みたいな一人は、居場所がなかった。でも、本を出したことで、マスメディアで書く機会が増えたのです」

 デビューから商業出版をしたが、ちょっと売れたあとに絶版となり、入手困難となってしまう。「歌人として活動していても、歌集が流通していなかった」。枡野さんが44才の時に「お笑いに短歌を取り込んだら面白いのでは」と思いつき、2年ほど、芸の道にいったことも。そうこうするうちに「全短歌集」の話が舞い込んできた。

 枡野さんは最初、乗り気でなかった。それまでは少ない短歌を絵や写真と一緒に提示してきたので、多くの短歌を載せて果たして多くの方に読んでもらえるのか、疑問だったので抵抗した。しかし、枡野さんの作品に惚れ込んだ編集者の粘り勝ちだった。
 そうして生まれた「全短歌集」から、愛について(!?)の作品を2首。

 「愛人がいるって人は奥さんに捨てられてない立派な人だ」
 「絶倫のバイセクシャルに変身し全人類と愛し合いたい」

 笹井宏之、宇都宮敦、仁尾智らの短歌をちりばめつつ枡野さんが書いた初の長編小説「ショートソング」(佐々木あらら企画執筆協力)がおよそ10万部のヒットとなった。吉祥寺を舞台にした「チェリーボーイとプレーボーイの青春ストーリー」だ。

 漫画化され、若者の短歌ブームをけん引した。高校の教科書にも作品が掲載された。入門書「かんたん短歌の作り方」(ちくま文庫)を書いた枡野さんにインスパイアされた若い世代がツイッターなどのSNSを活用。枡野さんも1篇140字以内という縛りで書いた作品をツイッターで発表し、「くじけな」(文藝春秋)という詩集になった。

 「インターネットのおかげで、結社に入らなくても、短歌を作っている人が多い。時代が変わった感じです」と枡野さんはいう。今の短歌ブームは、インターネットと、「出版社と書店の方々の尽力」によるところが大きいという。

 作詞をしたことも。「言葉をはめていくことが好きなので、最初に曲があったほうがやりやすい。でも先に詞を書けといわれるなど、向いていないことが分かった」と枡野さん。作詞した作品も「カラオケに入っているけれど、印税は一年に5円とか・・・」。

 私生活では結婚離婚を経験している枡野さんは自らのことも積極的に短歌に詠んできた。その複雑な胸の内がうかがえる作品の一つに「結婚はめでたいことだ 臨終はかなしいことだ まちがえるなよ」というのがある。うーむ。でも人間の心というのは複雑だ。そんなことがうかがえる、優しくて、ちょっと哀しい歌を2首、紹介する。

 「そうじゃない 二度と会わない人にこそ『じゃあまたね』って軽く言うんだ」
 「そうだった そういうところが好きだった 傷つけ合って別れた人の」

 枡野さんはこれまでの経験もあるのか、作り出す作品はおおまかに3種類に分けられると思う。まず、コピーライター的なキャッチ―な短歌。そして、世界の不満の原因に焦点を当てて斬るジャーナリスティックな作品。こころを見つめることが出来る文学的感性による短歌。太宰治ではないが、自分の経験を吐露する作品も少なくない。

 この記事で言及されている作品のほかにも、青春小説『僕は運動おんち』(集英社文庫)、短歌と文『淋しいのはお前だけじゃな』(集英社文庫)、啄木への手紙『石川くん』(集英社文庫)、アンソロジー『ドラえもん短歌』(小学館文庫)などがある。

『枡野浩一全短歌集 毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』
『枡野浩一全短歌集 毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』

 この記事もフィナーレがそろそろ近い。だからといって布施明の「そっとおやすみ」や「蛍の光」が流れるわけじゃない。記事が終わる程度ならいいが、「あいつは終っている」などと平気でいう人が世の中には少なからずいる。そんな人たちに対して、枡野さんは「もし終わらなかったら、謝って欲しいぐらい」といっている。

 「終わったとみんな言うけどおしまいがあるってことは素敵なことだ」
 「ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を」

文・桑原亘之介