地下鉄御堂筋線からJR東西線の鉄橋までの約3.5キロの淀川河川敷を舞台に、60分間で約1万発を打ち上げる「なにわ淀川花火大会」。真夏の大阪を彩るこの花火大会のルーツは、昭和40年代、淀川北岸にある十三(じゅうそう)サカエマチ商店街にあった。
元衆議院議員の中山泰秀さん
「当時の十三サカエマチ商店街といったらもう賑やかで、それは高度成長期の時代でした。大阪の北野高校の道路を挟んで目の前に三角形のグラウンドがあるんです。そのグラウンドで昔はやぐらを組んで、十三どんとこい祭というお祭りをしていました。それを幼少期で覚えていますね。十三よいとこどんとこい、あそれ。十三よいとこどんとこい。」
――どんとこい祭に当初から関わる山中さんは、十三サカエマチ商店街で串カツ店を営んでいる。
串カツ角栄の山中泰英さん
「十三市民にゆとりが出てきた頃ですわね。昭和40年ぐらい。それ(どんとこい祭り)に、みんな待ってました、みたいに乗ってきてくれはったんですかね。それは感動しましたよね。」
元衆議院議員の中山泰秀さん
「ところが、やがてバブルが崩壊したり、昭和天皇が御崩御される時期に来て、みんな下を向いて歩いているような時代でした。みんなが上を向いて歩くように花火でも打ち上げたらどうやと。時代が平成に変わったから、よし平成淀川花火大会という名前にしましょうと言って、平成淀川花火大会になったんですね。」
串カツ角栄の山中泰英さん
「日本の花火大会は、西はちょっと低調なんですよ。花火屋さんも東に多いんですわ。信州の花火会社まで行って我々の思いをぶつけて、そんなすごい気持ちあんねんやったら一肌脱ごうやないかというので来ていただいた経緯はありますね。」
元衆議院議員の中山泰秀さん
「(山中さんのお父さんは)田中角栄を大好きで、店の屋号までを角栄になさるというぐらい、田中角栄の淀川町版、民間人版みたいな方やった。うちの父や、山中代表がお父様の時代から長年かけてそこまでやってきて、途中でがんこの小嶋さんがちょうど経済同友会の代表幹事になられたので、それもちょうどいいきっかけでした。」
――花火の発注にも決して力を抜くことはなかった。
がんこ寿司創業者の小嶋淳司さん
「やる以上は、花火を見終わったら、みんなが初めて詰めていた息をフーと吐いて、ああ良かったというような、そのぐらいの感動を覚えるものにせんとあかんで、と話しておったのを思い出しますけどね。」
串カツ角栄の山中泰英さん
「花火は地方自治体の職員さんが発注して、紋切り型で、熱い思いなんかないんですよ。僕らは、熱さを向こうが感じるぐらいの交渉をしますやんか? 一肌脱ごうやないか、という思いになってもらうのが大事なんで。市民だけで作り上げている花火大会ですよ。」
元衆議院議員の中山泰秀さん
「町のみんなだけでやろうということで、財政支援を大阪府市からも受けないでずっと続けてきたんですね。今でいうクラウドファンディングを地で行ったような感じで。そういう意味で、社会資本整備と花火と経済的な背景と、いろんなものが折り混ざりながら今の状態になっていることが顛末だという気がいたします。」
株式会社ワタベの渡部憲一さん
「運営のほとんどを協賛観覧席のチケット料金とご寄付で賄っております。なので、景気が悪くなって、地方財政が補助金を出せないといって撤退している花火大会が多かったんですが、うちはそういうのはあんまり関係なく今に至ります。」
私は普段は大阪市内で電気設備工事業を営んでおります。花火大会の運営委員会って、(元々)15、6人だったんですよ。小嶋さんとか山中さんとか、誰々の嫁、誰々さんの息子、スナックのおっちゃんとか。そんなんで、よく花火大会ができたなと。十三の人ばかりだったんですね。今は神戸の人も堺の人も来てくれて。
オール大阪の花火大会と言っているんですけども、我々一銭もお金なんかもらってないんで、皆様の仕事を何とか分け分けして時間を割いてやっていて。今日も朝7時半から外にカラーコーンを置いたり、自転車を撤去したり。」
――地元のボランティアスタッフとして、花火大会を陰から支えているのは、25歳から40歳までの青年で構成されたJC、大阪青年会議所の会員だ。
株式会社ワタベの渡部憲一さん
「JCさんは毎年、当日に300〜400人が参加していただいているんです。それ以外に、翌日の清掃ボランティアは千人以上の方をJCさんで集めていただいております。」
串カツ角栄の山中泰英さん
「僕も大阪青年会議所に実は入っていました。(彼らは)大阪青年会議所の方針として、この大会にぜひ力を注いでお助けしたいという趣旨で入ってきたんですよ。
みんな一生懸命です。面白いんですよ。あんだけの観客を集める、あんだけ喜んでもらえる、その感動ですわな。それが、来年もやろうというモチベーションになるんちゃいますか。やっぱり好きなんちゃいます? お祭り好きってどこの地方でもいてますやんか。」
――最大の難関は花火大会の安全対策だった。
株式会社ワタベの渡部憲一さん
「過去に事故が発生して、それから花火大会に対する見方が変わって、警備関係もすごくお金がかかるようになって。」
串カツ角栄の山中泰英さん
「大阪府警本部、水上警察、消防も全部含めると大変な打ち合わせ。それを警察関係も消防関係も初めての経験なんですよ。市街地で花火を上げることに関してすごい緊張しましたね。
(2014年の)26回大会、台風で中止になった。あれが一番つらいですね。打ち上げ台船が鉄橋にぶち当たったり、河川敷に乗り上げたり。すごい事故を起こしましたんで。」
株式会社ワタベの渡部憲一さん
「スタッフが誰も中止を言い出せなくて無言のまま会議を続けていたんですけど、最終的には小嶋会長か山中運営本部長がこれは中止にしようとご決断された。解散して帰路についたのが、一番辛い思い出ではありますね。」
――8月3日、花火大会当日。晴天で迎えた。
串カツ角栄の山中泰英さん
「打ち上げチャートとかを見てますやんか。花火を企画してくれる企画委員長がズーム会議したりして、去年の反省点をもとに、去年とおんなじような花火じゃなしに一皮むけたような花火を上げたいという前提で交渉してるんで、それがめっちゃ楽しみなんですよね。
配線通りに電流が通るかどうか。5社が絡んでるから、うまいことシンクロしてくれないといけませんから。緊張します。」
元衆議院議員の中山泰秀さん
「淀川水系で淀川の水を飲んで育っているのが、なにわっ子大阪人です。今日はそんな大阪人の魂を打ち上げ花火に込めて、皆さんと共に楽しんでいただきたいし楽しませていただきたい、そんなふうに思います。」
――2024年夏、打ち上げを終えた。
元衆議院議員の中山泰秀さん
「コロナ後、久しぶりにフルスペックか、そのオーバーかぐらいでやらせていただいた、一番いい花火大会だったんじゃないかなと思います。」
がんこ寿司創業者の小嶋淳司さん
「今年は新しい色が入ったねとか、そういう我々が工夫したことを評価してくれるお客さんだということやと思いますね。それと観客のマナーがものすごく良くなったね。地域の人も、ボランティアでやっていることが分かっているから。いろいろご迷惑かけていると思うんですよ。ですけれども、寛大な気持ちでいてくれることはありがたいです。」
株式会社ワタベの渡部憲一さん
「花火が上がった瞬間、達成感。今までしんどい思いをしたことが、花火が上がることによって消えるような感じでいいかなと思います。」
串カツ角栄の山中泰英さん
「JRの塚本鉄橋と十三バイパスの幅を100%うまく使って、ものすごく広範囲にワイドパノラマの打ち上げをやってくれたから、そういう意味ではスケール感はすごい上がりましたね。
僕はね。設備も大事で安全対策は当然大事なんやけど、一番の思いは花火なんですよ。花火の良さは上げてみないと分からないんですよ。なんぼ口頭でこうしろ、こういう思いを表現しろと言うたかて、スタッフですら本番しか見られないわけで。
花火は一回見たら昨日のことを忘れるような人でも、去年はこうやったって言うんですよ。だから今年、なんぼええ花火を上げても、今年と同じ花火を来年には上げたくない。違う花火、グレードの高い花火を花火屋さんも一生懸命研究しています。
花火屋さんの花火に対する期待、一般の市民の皆さんの思いを引っ張っていけるような、いい花火を上げるように、花火屋さんと協力しながらやっていきたいなとは思っているんですけどね。」