1975年10月9日生まれ。偶然にも父ジョンと同じ誕生日に生を授かったショーン。母親はオノ・ヨーコだ。ジョンがミュージック・シーンから遠ざかり、ショーンのために主夫生活に専念していた時期だったこともあり、両親の寵愛を一身に受けて育った。
ジョンが音楽活動を再開するきっかけの一つとなったのは、ショーンとの会話だったという。ショーンはビートルズのアニメーション映画『イエロー・サブマリン』を見て、ジョンに言った。「パパはビートルズだったの?」。答えはもちろん「イエス」。
しかし、80年12月、ジョンがニューヨークの自宅ダコタ・ハウスの前で凶弾に倒れ,世を去ってしまう。幸せな生活が突如として断ち切られてしまった。ショーン5歳の時だ。
短い父子生活を後に振り返り、ショーンは語った。「正直言ってぼくは、ぼく以上に父親と多くの時間をともにできた世の中の人たちのことを、ほんの少し嫉妬していた・・・気付いたときには父はみんなのものだった」(『ジョン・レノン・ボックス』の序文)。
ショーンが父同様に音楽の道に進むのには理由があった。「(亡くなった)父親と関わりを持つ唯一のチャンスは、ミュージシャンになることにあった。初めてピアノでメロディを弾いた時のことは忘れられない。曲は“イマジン”か“イエロー・サブマリン”。ぼくは6歳で、亡くなって以来初めて父がそばにいるような気持ちがした」。
「父親とつながろうとしてきたぼくの経験は、ぼくを全世界とつなげてくれている」。
コロンビア大学で人類学を学んだが中退。そして98年、ソロアルバム『イントゥ・ザ・サン』を発表し、デビューを果たす。ボサノバ・タッチのタイトル曲、ジャズ風味の「フォトシンセンス」、ブライアン・ウィルソンの影響がうかがえる「キュー」など多彩な作品が並び、彼の音楽的バック・グラウンドの広さを示すこととなった。
2006年にソロのフル・アルバムとしては第2弾となる『フレンドリー・ファイヤー』をリリース。だがその後は、もっぱら他のミュージシャンとのコラボに力を入れ、ユニットによる作品や映画のサントラのスコアを手掛ける方向に舵を切ったのである。
まず、恋人でモデルのシャーロット・ケンプ・ミュールとのコラボ『The GOASTT(The Ghost of a Saber Tooth Tiger)』。60年代フォークへの敬愛が感じられるアルバム『アコースティック・セッションズ』を2010年に発表。2014年には、前作とは一転してエレクトリック・サウンドが主体の『ミッドナイト・サン』をリリースしている。
次に、アメリカのノイズ・ロック・バンド“ディアフーフ”でドラマーなどを務めるグレッグ・ソーニアと組んで、アルバム『ミスティカル・ウェポンズ』(2012)を発表。
そして現在最も力を入れているのが、凄腕ベーシストのレス・クレイプールとのユニット“ザ・クレイプール・レノン・デリリウム”である。2016年に第1弾アルバム『ザ・モノリス・オブ・フォボス』、2019年に2作目『サウス・オブ・リアリティ』をリリースした。彼らのサウンドはプログレッシブ・サイケ・ポップスとも称される。
そして特に日本のファンにとってうれしいのは、彼らが内田裕也氏、ジョー山中氏らによる日本の70年代のロック・バンド“フラワー・トラベリン・バンド”の「SATORI」をカバーしたことだ(第2弾アルバムのボーナス・トラックとして収録されている)。
ユニットによる活動のほかには、映画のサントラも精力的に手掛けている。代表的なものに、低予算バンパイア映画『ローゼン・クランツ・アンド・キルデンスターツ・アー・アンデッド』(2009)やインディーズ映画『アルター・エゴズ』(2012)がある。
順調に歩んできたショーン。その彼は、ビートルを父に持つことによって葛藤したりしたことはないのだろうか。2019年2月21日付ミュージック・レビュー・サイト「ターン」に載った、三船雅也氏によるインタビューには次のように語っている。
「ぼくが息をたくさん使って力強い歌い方をすると、声がますます父に似てくるんだ。それを避けるために、すごくソフトな歌い方をしていた時期がある」。
音楽活動の一方で、父母譲りの社会活動も行ってきた。2012年には、シェール・ガスなどの天然ガスを抽出するための、地下の岩盤に化学薬品を含む大量の水を圧送して割れ目を作る「水圧破砕法」が飲み水の汚染を招く恐れがあるとして、ヨーコとともに環境保護の観点から反対を表明した(同年9月3日付朝日新聞夕刊)。
さらに2017年秋には「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street)活動に参加。これはニューヨーク市マンハッタンの金融街ウォール・ストリートにおいて発生した、アメリカ経済界、政界に対する一連の抗議行動を指し、リーマン・ショック後の不景気を背景にして広がった富裕層への反発から生まれた活動であった。
ショーンは米歌手ルーファス・ウェインライトとともにデモに参加し、マドンナの「マテリアル・ガール」を歌った(同年10月24日付「ハフポスト」電子版)。
結局ショーンがたどり着いた境地とはどういうものなのだろう。「自然体の自分から出てくるものに従えばいいんだ。そして自然体の自分から出てくるものというのは、明らかにビートルズやジョンやヨーコの影響が大きいんだ。それがぼくの出自だからね」とショーンは語っている。
(文・桑原亘之介)