届いた本『翔(と)んでベトナム30年』(そらの子出版)の表紙に、思わず笑みがこぼれた。赤のスクーターにまたがる金髪、サングラスの女性の写真。著者の小松みゆきさん(78)だ。
このスクーターの後部座席から夜空を見上げるのが好きだったなあ。ハノイに赴任した2000年代半ばのさまざまな風景が押し寄せた。
ベトナムは特異な国だ。支配を企むフランスや日本に抗(あらが)い、冷戦時代はソ連と中国のバランスを取りながら米国に勝利。国際的に孤立させられた1980年代を生き延びた。そして私は、市場経済を導入し戦争の後遺症を内包したまま岐路に立つ、一筋縄ではいかないこの国でもがいていた。2年の赴任期間では到底、理解は無理だー。
小松さんは私には見えないベトナムを教えてくれる人だった。日本語教師として92年に着任して以来ハノイで暮らす彼女は、社会に根を張る生活者の目と、何でも面白がる観察者の目を持っていた。ベトナムで暮らした30年間、その目は失われなかった。
それにしても好奇心と興味、自分にとって大事なものを追求し続けていると、想像もしない場所に運ばれていくものだ。日越関係の歴史の証言にもなっている著書のページをめくりながら考えた。
小松さんのライフワークは残留日本兵の家族探しである。第2次大戦後、ベトナムには約700人の日本兵が残留し、軍事教官や医師としてベトナム人とともにフランスからの独立戦争を戦った。大半が現地で家庭を育んだが50年代、ベトナム側の政策で単身で日本に帰国した。イデオロギーが家族を分断した冷戦時代である。
日本語を教える小松さんは「父は日本人」と語る学生に出会い、残留日本兵の家族の調査を始める。地道な活動は2017年、一つの実を結ぶ。ベトナム訪問時、在位中だった上皇ご夫妻と家族の接見が実現し、彼らの存在に光が当たった。その後、家族の日本訪問も実現した。
認知症が始まったお母さんと暮らした13年の日々は、映画化された。年配者を大切にするベトナムの人々に、お母さんは人気者だった。新潟の村から来たお母さんは日本語で「ここは雪が降らなくていいねえ」と話しかける。人々はベトナム語で応対し、不思議と会話が成立していた。そんな日々をまとめた本は、松坂慶子さん主演の映画「ベトナムの風に吹かれて」として公開された。
思い出したベトナム戦争の歴史がある。「停戦に尽力した」と1973年、米国のキッシンジャー国務長官とともにノーベル平和賞受賞者に選ばれたベトナムのレ・ドク・ト氏が「いまだ平和は訪れていない」と受賞を拒否したことだ。実際、戦争終結はそれから2年を要した。粘り強く、妥協しながらもへつらわず、最も大切なものを守る外交手腕。侵略を試みる大国に抗ってきたベトナムだからこそ、の政治家だろうか。
「ノーベル平和賞がほしい」と駄々をこねるトランプ米大統領に「推薦する」とへつらう高市早苗首相。人工知能が進歩する一方で、私たちの人間性は退行しているのか。著書はそんなことも考えさせてくれた。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 44からの転載】

舟越美夏(ふなこし・みか)/ 1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。









