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議員定数削減はリトマス紙 【政眼鏡(せいがんきょう)-本田雅俊の政治コラム】

 国会議員の身分に直結することから、永田町では、選挙制度や議員定数を触ろうとすれば「血の雨が降る」といわれてきた。他の理由も重なってのことだが、実際、平成の時代には、海部俊樹首相や宮沢喜一首相は選挙制度改革を巡って党内の激しい抵抗に遭って退陣を強いられた。昭和の時代には、鳩山一郎、田中角栄の両首相も選挙制度を変えようとして危うく“大やけど”を負いかけた。

 11月26日の党首討論で、立憲民主党の野田佳彦代表が企業団体献金の規制強化を迫ったのに対し、高市早苗首相は「そんなことより定数削減をやりましょう」と口走ってしまった。翌週の参院本会議で高市首相は「話題を転換するために申し上げた。優先度合いを示す趣旨ではない」と弁明したが、議員定数の1割削減は決して簡単な話ではない。

 本会議中に寝ている議員や「ボーッと生きている」議員たちを見ると、もっと議員の数を減らしてもいいのではないかと思って当然だろう。委員会でも、瞑想にふけっているように見える議員は少なくない。11月15、16日に行われた共同通信の世論調査でも、合わせて8割近くの有権者が議員定数の削減に賛意を示している。

 しかし、諸外国に比べ、わが国の国会議員数は必ずしも多くはない。下院だけを取り上げてみると、米国を除けば、G7(先進7カ国)の他の5カ国の議員数は、おおむね国民13万人に1人くらいの割合になっている。たとえば人口が8411万人のドイツでは、下院の定数は630人だ。もしも日本の衆院を他の先進国並みにするならば、現在465人の定数はむしろ700人近くに増やさなければならない。

 建て前を含め、「地方がますます疲弊する」(閣僚経験者)、「民意が反映されにくくなる」(野党国対)といった理由から、議員定数の削減に対しては野党のみならず、自民党にも根強い反対論や慎重論がある。「政争の種になり得る」(自民中堅)と危ぶむ声もある。それでも高市政権が推し進めようとするのは、日本維新の会との間の連立政権合意に盛り込まれているからだ。維新にとって議員定数の削減はまさに「身を切る改革」の象徴であり、安易な妥協は党の存在意義を否定することになる。

 膨大な財政赤字を少しでも削減するため、為政者が自ら「身を切る改革」に乗り出すことは重要だ。諸々の改革に臨む“覚悟”を示すこともできるかもしれない。だが、「衆院定数の1割削減」でどれだけの歳出削減になるかといえば、「せいぜい年間40億~50億円にすぎない」(自民若手)という。決して小さな金額ではないが、国家予算全体に比べれば微々たるものだ。その金額ならば、議員歳費や文書交通費、政党助成金の削減などによっても十分実現できる。

 議員定数の削減自体が目的だとするならば、「中央主権体制を抜本的に改め、連邦制に近い分権国家にするのとセットでなければならない」(元自民参院議員)との主張は正鵠(せいこく)を射る。巨大かつ強力な権限と財源を持つ霞が関を統制したり、対峙したりするには現在の議員定数でも足りないくらいだからだ。30年前の政治改革の際もそうした議論がなされたが、いつの間にか“風化”してしまった。

 一方、あえて斜めに見ると、維新の真意はむしろ別のところにあるようにも思えてくる。議員定数削減に向けた自民党の“本気度”を、信頼関係を測るリトマス紙にしているとの見方だ。自民党と維新は連立政権の樹立で合意したとはいえ、男女の関係にたとえるならば、一応は入籍したものの、まだ同居はしていない状況だ。もしも「一丁目一番地」の約束を自民党が誠実に履行しようとすれば、両党間の信頼は高まり、真の連立に向けて動き出すだろう。

 現在の国会は12月17日に会期末を迎える。すでに会期が延長される可能性も取り沙汰されているし、定数削減法案が継続審議になることも考えられる。しかし、法案の処理方法次第では、永田町に「血の雨が降る」かもしれないし、維新が“スピード離婚”をちらつかせるかもしれない。「前門の虎、後門の狼」ということわざもある。支持率が高くても、高市政権の足元は決して盤石ではないのだ。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。