-慎一や裕子、アキラたちが劇中で何度か繰り返す「だるまさんが転んだ」は、原作にない要素です。これも映画化する上で、人と人との距離感を象徴する遊びとして取り入れたのかと思ったのですが。
これは、脚本の高田亮さんのアイデアです。その意味について詳しく聞いてはいませんが、話してしまうのはなんとなく野暮だと思ったのかもしれません。僕としては、単純に子どもと仲よくなっていく過程にちょうどいいので、選んだという程度で、そんなに深い意味は込めていないつもりです。分かりやすいメタファーを使ってしまうと、原作のテイストとも違ってきてしまいますし。
-なるほど。
作り手が「こうだ」と言ってしまうと、それだけになってしまうので、僕としては「そうとも取れますね」ぐらいの感じにしておきたいところです。ただ、作品をご覧になった方がいろいろ考えてくれるのはうれしいです。全く思ってもいなかったことを言われて、「そういう意味もあるな」と気付かされることも多いので。
-人と人との距離感は今、すごくデリケートな問題になっているので、そういった点で時代にマッチした作品だと感じたものですから。
そうですね。「家族の在り方」が多様化している中で、「これがいい」「ああいうのは駄目」みたいなことは言わず、もう少し大らかに「こういうのもいいんじゃない」ぐらいの気持ちでやったつもりです。
-話に出た「家族」というテーマについてはどの程度、意識していたのでしょうか。
いつ自分の暴力性が再び爆発するか分からずに不安を抱える慎一と、夜になると孤独に耐えられなくなる裕子。どちらも家族を作るのが怖くなってしまい、「自分たちは家族を作る資格がない」と思っている。これは、そんな2人がある結論にたどり着くまでの物語なんです。「家族の在り方」とは言いましたが、そのぐらいに受け止めてもらえればいいんじゃないかと思っています。
(取材・文・写真/井上健一)