NHKで好評放送中の大河ドラマ「どうする家康」。関ヶ原の戦いに勝利した主人公・徳川家康(松本潤)は征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開いた。こうして戦国乱世が終わりに近づく一方で、若い頃から家康を支え、数多の戦を潜り抜けてきた“戦国最強武将”本多忠勝が、ついにこの世を去った。物語がクライマックスを迎えつつある中、ここまで忠勝を演じてきた山田裕貴が、最後の登場となった第44回を中心に、役を生きた長期の撮影を振り返ってくれた。
-“平八郎”の愛称で視聴者からも親しまれた本多忠勝は、“平平コンビ”と呼ばれた”小平太”こと榊原康政(杉野遥亮)と共に第44回で亡くなりました。杉野さんとの共演はいかがでしたか。
僕と杉野氏は、それぞれの個性というか、根底にある“魂の感覚”みたいなものが全く違うんです。例えば、僕が火なら、彼は水、みたいな感じで。でも、それがよかったんじゃないかなと思います。現場でも、芝居について「ああしよう、こうしよう」と特別多く話したわけではないですが自然と臨むことができました。さらには皆さんから“平平コンビ”と呼んでいただけたわけですから。それはすごくありがたかったです。
-第44回では、長い間「俺は(家康を主君と)認めん」と言っていた平八郎が、小平太から「いつから殿のことを認めていたのか?」と問われ、第2回の「大樹寺」だったと答えるサプライズな展開もありました。
実は僕、第2回の大樹寺の場面で、泣きながら腹を切ろうとしていた殿が突然、虎のような表情に一変したとき、後ずさりしているんです。足元のアップがあるわけでもなく、ほんの少し後ろに下がっただけなんですけど。さらにその後、大樹寺を包囲した敵に向かって殿が啖呵(たんか)を切った場面でも、その勢いに圧倒され、「この人はすごい!」と一歩下がっています。
-それは気付きませんでした。
でもそれ以降は、相手が織田信長でも武田信玄でも、絶対に引き下がらないと決めていました。「自分を退かせたのは、この男しかいない」という経験をしたことにしたくて。なぜなら、平八郎は「殿を守って死ぬことが夢だった」と言っているので、あの時点で心を打たれていないと、いつまでも「俺は認めん」と言いながら殿のそばにいるのは苦しいんですよね。それを演出の方に何度も話していたら、結果的にそのせりふが増えていって。だから、最後の小平太とのやりとりは、僕が演じてきた忠勝の思いが伝わった瞬間でした。