-その一方で、雪や雨など自然の風景がモノクロ映像の中で美しく表現されていました。その中で特に印象的だったシーンは?
寛一郎 僕が印象に残ったのは、おきくと中次が思いを伝え合う雪のシーンです。真冬に撮ったので、めちゃくちゃ寒かったんですけど、今回、プロデューサーも務めた美術の原田満生さんが、素晴らしい雪を降らせてくれて。モノクロスタンダードの映像にこれ以上ないぐらいの雪映えをしていました。
池松 好きなシーンばかりです。冒頭の雨のシーンが素晴らしいです。僕が初めて撮影したのが、小舟で中次と一緒に“うんち”を運びながら川を下るシーンなんですが、空と人と水があるだけ。何でもないシーンですが、ポエジーでとても美しい。現代のモノクロ映画を日本映画で、という長らく願っていた夢がかないました。
-現代にも通じるテーマを扱った本作を通じて、時代劇の魅力を改めて感じた部分はありますか。
池松 これまではむしろ、この国の時代劇があまり好みじゃなかったんです。古典を愛する気持ちはあります。本当は好きなんですが、時代劇というフォーマットを使って、何を語るために時代劇に立ち返るのかということがすっぽり抜け落ちた作品が多かったように思います。それでは懐古趣味にしかなりませんし、今回、あの時代にあった汚穢屋の姿を通して、今この世界に通じるもの、これからを語るための時代劇という発想が素晴らしいと思いました。そういった企画の発想、変換で、時代劇という過去、またはSFという未来劇には物語の可能性がたくさんあると思います。
寛一郎 壮亮さんの話と重複するかもしれませんが、文化と今日をつなぐのが、映画の良さであり、フィクションにできることだと思うんです。この作品では今日に通じるそういうものを、うまく時代劇にできたんじゃないかと思います。
(取材・文・写真/井上健一)