26歳の折村花子(松岡茉優)は、理不尽な理由で映画監督のデビュー作から降ろされる。泣き寝入りはしないことを決意した花子は、10年以上音信不通だった“どうしようもない家族”のもとを訪れ、父と2人の兄にカメラを向けて夢を取り戻すべく反撃を開始する。石井裕也監督がオリジナル脚本で家族を描いたドラマ『愛にイナズマ』が10月27日から全国公開される。公開に先立ち、花子の父の治を演じた佐藤浩市、長兄の誠一を演じた池松壮亮、次兄の雄二を演じた若葉竜也に話を聞いた。
-最初にこの映画の脚本を読んだ印象と、実際に演じてみてどう思ったかをお話しください。
佐藤 脚本を読んで勢いを感じました。物語の進め方や扱っている題材や素材とかではなくて脚本自体に勢いがあった。それをすごく感じたので、この勢いにみんなで乗っかって芝居をすると面白いんじゃないかと。キャスティングは最初からある程度決まっていたので、みんなでそういうことができるよなという感じがプンプンにおっていた脚本でした。カメラは当然何方向からも撮っているし、ワンシーン、ワンカットでもいけてる。そういう芝居というか、そういう絵をいくつも重ねながら、その中で、ちょっとお客さんに対する丁寧さも含めて、編集しながらカッティングをして見せていくというような作品だと思いました。
若葉 先ほど浩市さんがおっしゃったみたいに、この船に乗られなかったら後悔するだろうなと思ったし、ただでは帰らないぞっていう思いもありました。現場ではほとんどの皆さんが初共演の方でしたが、日に日に現場で過ごすことが好きになっていくのが実感できました。
池松 勢いとエネルギーがあって、繊細かつ大胆な構成で書き殴られた力強い脚本でした。石井さんの脚本はこれまでもたくさん読ませてもらってきましたが、中でも異様なエネルギーとポップさ、さらに形容しようのないエモーションがありました。世間はもうコロナがあったあの頃のことなんて忘れて、とっとと新しい時代に向かいたいのかもしれません。ですが、自分たちがあの時確かに感じたこと、悲しさや悔しさややるせなさ、これまで受けた理不尽なこと、そしてこれまで生きてきたこと。あらゆる欺瞞(ぎまん)を捨ててマスクと共にはがし、カメラで暴き、イナズマによって照らす。本当に大切なものをなんとか取り返そうと、必死に守ろうと奮闘するこの主人公をはじめとした登場人物たちの心の叫びに賛同し、何とか後押ししたいと思いました。
-「カメラを向けられると、人は演技をするという」せりふがとても印象的でした。花子にカメラを向けられた時の三者三様の反応が面白かったのですが、あのせりふとシーンについて感じたことがあれば教えてください。
佐藤 僕も昔から言っていたんだけど、本当にその通りですよね。それこそドキュメンタリーの名作と言われている作品を見てもそうだけど、やっぱりカメラを向けられた瞬間に人は演じてしまうんです。自意識過剰になってしまって感情をコントロールできなくなる。それがあるということは前々から自分でも思っていました。だから、その通りのことだと思ったし、そういうことが改めて表現できたのはよかったです。
若葉 本当にその通りだと思います。僕も俳優であるという意識がなくてカメラを向けられたら、あのぐらい挙動不審になってしまうかもしれません(笑)。それを解放したというか、そういう仮面を全部取ったという感じでした。
佐藤 いや、難しいんだけど、演者だから逆に行こうとするんだよね。カメラを向けられた時に。そうじゃない普通の演技経験がない人がカメラを向けられると、よりそうではなくなる。『ゆきゆきて、神軍』(87)なんてまさに明らかに意図がそこにあるわけだし。
池松 その通りだと思います。普段からカメラを向けられていることに慣れているどんな俳優であっても、カメラを向けられることでそこに意識が生まれます。カメラというのは視線であって時に暴力を伴うものでもあります。そのことを俳優は人よりもより知っているものだと思います。カメラを向けられることで、本来意識的にも無意識的にも演じる生き物である人は、より何かを演じるものだと思います。とあるシーンで、浩市さん演じるおやじが、カメラをチラチラ見ながら自意識と戦っている姿には最高に笑わせてもらいました(笑)。それを見た花子からは「駄目だ!全然駄目!クソ!」とか言いたい放題言われて(笑)。浩市さんに向かってそんなこと言っちゃ駄目だよと思いながら隣で聞いていました(笑)。