1936年、ベルリンオリンピックのマラソンで日本は金メダルと銅メダルを獲得した。だがその選手は、日本名の孫基禎と南昇竜として参加した朝鮮出身のソン・ギジョンとナム・スンニョンだった。第2次世界大戦の終結後、すさんだ生活を送るギジョン(ハ・ジョンウ)のもとにスンニョン(ペ・ソンウ)が現れる。2人は期待の若手選手ソ・ユンボク(イム・シワン)を1947年のボストンマラソンに出場させるためチームを組むが…。『シュリ』(99)『ブラザーフッド』(04)のカン・ジェギュ監督が、祖国への思いを胸に走るマラソン選手の姿を実話に基づいて描いた『ボストン1947』が8月30日から全国公開される。公開を前に来日したジェギュ監督に話を聞いた。
-なぜ今このクラシックな題材を描こうと思ったのですか。
私は、以前からマラソンの映画を撮りたいと思っていました。では具体的にどんな映画を作ろうかと考えていた時に、知り合いのプロデューサーが持ってきたシノプシスを読んで、この映画を作ろうと決心しました。本作の時代背景である1947年は、今と比べると本当に大変でつらいことが多い時代でした。その一方、現代に生きる若者たちは、韓国のみならず、恐らく日本でもそうだと思いますが、現実の中でどうしたらいいのかと迷っていたり、はっきりとしない未来に対してばく然とした不安を抱いている人たちも多いと思います。そんな人たちが、この映画を見てくれたら、ある種の時間旅行ができて、今の自分たちが暮らす時代よりも、ずっと大変な時代であっても、主人公が夢をかなえた姿を目の当たりにすれば、少しは気持ちの慰めになったり、力になるのではないかと考えました。
-ハ・ジョンウ、イム・シワンについてはどう感じましたか。
いろいろと調べてみると、ソ・ユンボクの身体的な条件にイム・シワンがとても近いものがあって、ほかにも一致する点が多々あり、これは役にピッタリだと感じました。撮影中は、モニターを通して彼の演技を見たわけですが、本当に鳥肌が立つことが何度もありました。私がこう演じてほしいと望んでいた演技を、彼は適切に、そして確実に見せてくれました。また、本作では、ハ・ジョンウを最初にキャスティングしました。というのも、この作品はソン・ギジョンという人からスタートしていますし、作品の中で大きな柱となる俳優が必要だと考えたからです。彼がソン・ギジョンを演じてくれたからこそ、この作品がしっかりと地に根を下ろして、どっしりと構えたものになったと思います。
-フィクションとノンフィクションとの割合はどんな感じなのでしょうか。
まず、1947年という時代をできるだけそのまま映画の中に持ってきたいと考えました。それは当時を感じられる画面作りをするということですから、美術的な面でもかなり苦労したし、気も使いました。韓国は1945年の第2次世界大戦の終了とともに一応解放されたけれども、1950年には朝鮮戦争が始まります。1947年という時代は、そのはざまだったせいか、なぜか今まであまり作品として描かれてきませんでした。それは、その当時のことを知ることができる参考資料があまり多くないということも影響していると思います。いずれにせよ、本作においては、限られた資料の中でできるだけ忠実に描きたいと思いました。
この作品は、事実に基づいてはいますが、作品の性格上、当然創作した部分もあります。ただ、創作して入れ込む部分はできる限り少なくしたいと思いました。主な登場人物である3人の男性の性格や人柄に、はっきりとコントラストをつける、でもちょっとエッジが効くような変化をつけるために、事実とは少し異なる部分を入れたりしています。ボストンマラソンのレースの部分は、できるだけ事実に基づいて、そのまま描こうと努めました。レースの場面などは、小説でも書けないような劇的な内容が実際にあったということです。