-先ほどの脚本の話もそうですが、前半と後半では全く演出が違ったと思うんですけど、演じる上で気を付けたことはありましたか。
浅野 気を付けることがあったとしても、いつ何が飛び出してくるか分からないので、それに反応できる状態でいようと思いました。だからキーワードとしての「鬼の福田と仏の井上」というのは結構助かりました。「俺は仏の井上なんだ」といつも自分に言い聞かせていました。
大森 1日の中で、同じセットでAとBを演じた時もあったので、Aはそこそこの緊張感を持って終わりましたが、次のBはどうやればいいんだというのが結構大変でした。でも、何があっても受け入れて対応できるように準備はしました。監督と段取り的なことをやった時は、一旦考えてから、監督の言葉を探しながら演じました。
-後半は、笑いをこらえているような場面がありましたが、結構アドリブはあったのですか。
大森 もうほとんどがアドリブです。
浅野 決まっていることがあっても、予想以上のことがあったと思うんです。それでアドリブ的になるというか。
大森 AパターンとBパターンって同じカットを使うところもあるので、ワンカットしか撮らない時に「これはふざけなくていいんだっけ」と。
浅野 そうですね。そういうことがありましたね。
大森 ホテルを歩いてくるシーンだけはふざけなくてもよかったので、あそこだけは少し真面目にやりましたけど(笑)。
-北野監督が今のタイミングでこうした実験的な映画を撮ったことについてはどう思いますか。
大森 さすがだなと。そもそも普通の日本映画とは全く違うことからやり始めて、『みんな~やってるか!』(95)でまたそれをぶち壊して…。だから芸術家なんです。今回も、初めての配信作品で、短い60分の中でこれをやるという。すごい芸術作品で、素晴らしい人だと思います。もう誰もまねのできない領域じゃないですか。『首』(23)の撮影の時も、僕はあと3年ぐらいこの現場にいたいなと思っていました。
浅野 たけしさんのおかげで、いろんな側面を見させてもらっていると思います。だからすごいなと。みんな自分が結果を出した後は、知らない間に守りに入ってしまうところがあると思うんです。でも、たけしさんには全くそういう動きはないですからね。やっぱり誰が何を言おうが、自分が今思いついたことをやるということ。それに参加できるのはありがたい限りです。
-浅野さんは海外で仕事をすることもありますが、北野監督のことをどう感じていますか。
浅野 たけしさんには本当に感謝しています。日本の業界では、数字で物ごとを測る人が多い。そうすると僕みたいな俳優はなかなか誘ってもらえません。でも、たけしさんはピンポイントで僕を誘ってくれます。僕は僕なりに戦ってきたつもりだから、そういうものをたけしさんの現場で出せることにも感謝していますし、それで自信をつけることができます。そうやって自分が面白いと思うことを信じてやってくれている方がいて、そこに余計なことは一切抜きでチャレンジさせてもらえるのは、ありがたい限りです。
(取材・文・写真/田中雄二)
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