ふむふむ

【一歩踏み出した輪島】(2)もっと身近に魅力的に、若手が開く輪島塗の魅力

 輪島のモノづくりの担い手が手を携えて企画展などを行ってきた「わじま工迎参道」。「工芸」ではなく、「工迎」なのは、この地に人を迎えて出来上がったモノを手に取ってほしいから。震災後もその思いに変わりはない。メンバーの鳳至那美さんと浦出麻由さんは、のびやかな発想で既成概念を打ち破る輪島塗のアクセサリーを、世に送り出し続ける。

輪島塗のアクセサリーをデザイン、企画商品化している鳳至さん(左)と浦出さん=8月1日、輪島市

 輪島塗を地元の高校で学んだ後、デザイナーの仕事をしていた鳳至さん。「輪島塗のアクセサリーは過去にもあったんですが、重厚すぎたりして、着けたいと思うものがなくて。そこで、自分が本当に使いたいと思えるものを、軽薄に、勝手に作りはじめました」。箸に施されるハンコ蒔絵(まきえ)を生かしたネックレスは、青海波や麻の葉などの伝統柄がこれまでと違った表情を見せる。白漆玉と青の天然石を合わせたピアスの名は「春の海」。「春からゴールデンウイークにかけての海が一番きれいで大好き。それを表現しています」

▽「私」が主役のアクセサリー

 6年前にスタートしたブランド「atee」は、輪島弁で「私(=あて、あてえ)」を意味する。「他人がどう思うからではなく、自分が気に入るものを身に着けたい。そんな『私』から『私』へ贈るアクセサリーというところです」。売り始めると、地元での反応は想定以上に大きかった。自分を大事に生きる、そんな思いも響いたのだろうか。

ateeのアクセサリー。一番上の列がハンコ蒔絵を施したネックレス。真ん中の列中央がピアス「春の海」

 「輪島塗が家にあるのが当たり前、工芸なら一番だと思っていたのに、見たこと、使ったことある人が意外に少ない。けっこう衝撃でした」。上京してバイヤーの仕事を続けていた浦出さんの心に、くすぶっていた思い。「まずは知ってもらう。そのためには、身に着けられるものをつくりたい」。地元に戻って会社を立ち上げ、震災の前年にはじめたのが、輪島塗の価値をよみがえらせ、伝えるための「WAJIMANU RE BORN」プロジェクトだ。

▽リボンと「Reborn」

 第1弾として作った、ジャケットの襟などに着けるラペルピンの形は、Rebornを意味するリボンで、美しい木目が見える「拭き漆」、磨きや塗、螺鈿などの装飾が美しい「本塗り」がある。「目に入ると、『それ何?なんでリボン?』って必ず聞かれるから、プロジェクトに込めた全てを話せるんです。買ってくれた人もそれを知ってくれるので、皆がリボンをつけて(輪島塗の良さを)広めてくれる」。アクセサリーの領域だけでなく、今後は文具などの商品化にも挑みたい。

WAJIMANU RE BORNのリボン形ラペルピン(手前左)、漆玉のブレスレット(手前右)やポップな色もそろうピアス(奥)

 震災の打撃は、まだまだある。「今つけている朱塗りのリングも、実は被災したんです」(鳳至さん)。2024年元旦は、正月に合わせ千葉に帰省していた職人から出来上がりが届く予定だった。地震で輸送網が混乱し、行方が分からなくなったものが救出され、手元にたどりついたという。デザイン事務所があった朝市通り周辺も火災で壊滅的な被害を受けた。リングの漆玉を手掛けた職人は今も金沢の仮設工房で仕事を続ける。

▽職人から「誰より早く再開する」

 浦出さんが一緒に仕事をしていたラペルピンの職人は、ほぼ稼働できなくなり、作りかけの商品も燃えた。前が見えなくなっていた時、震災で途絶えていた通信電波が再開。「頑張って」「さっき買いました」。オンラインの応援購入が信じられないほどの数、来ていた。それを見た別の職人が、「おれは、誰より早く生産再開する」と、つぶれた家の中から漆玉を集めてきた。色とりどりの漆玉をあしらったリングやブレスレットを作り続けている。

 職人の工房の稼働率は、およそ6割ぐらいという。輪島に戻りたいけど戻れない人もまだ多く、仮設工房に入っても、今まで通りアイデアが浮かんでこない人も。皆が少しずつ自分のペースを取り戻しながら、ゆっくり進む。

 それでも、輪島に訪れる人は増えてきた。地震の爪痕がまだ残る中に、たくさんの美しさ、面白さがある地だが、2人は、その根幹をなすのが輪島塗だと考えている。「輪島塗を決してなくしたくない。未来に伝えるだけでなく、もっと求められて残るものに」(浦出さん)。これから、どんなものが生まれてくるだろう。