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【一歩踏み出した輪島】(3) 1杯のコーヒーから、元気と幸せを 

 「GRAB COFFEE, GO TO NOTO」。コーヒーを手に持ち、能登へ行こう――。震災後の輪島でコーヒーを淹れて人々を癒してきた2人が、呼びかけている。現地で思いを寄せたいけど、本当にたずねていっていいのだろうか。 そう思案しているなら、まずは彼女たちのカフェに会いにいくのがきっといい。

Hosi bosi coffeeの山崎さん(左)とzawa coffeeの四十沢さん=8月1日、輪島市のHosi bosi coffee

 燃えてしまった輪島朝市通りから徒歩圏の「Hosi bosi coffee」。拭き漆仕上げの長屋で、オーナーの山崎里香さんが自分で焙煎したコーヒーを淹れる。Hosi bosiはコーヒー豆のようにそれぞれ違う星々を意味する。「香りも味も違う産地の豆が合わさり1杯になるのがコーヒー。昔の人が星空を見て物語を想像したように、飲んだ人の物語が1杯から始まり、広がってほしい」という願いを込める。

▽輪島の喫茶文化

 山崎さんの両親も、輪島塗に携わる職人だった。「職人には行きつけの店があって作業の合間にコーヒーを飲みに行く。輪島はそんな喫茶店文化があった町で、子供のころ、親と薄暗いカウンターに座ると、大人になったようでうれしかった」。憧れだったカフェの開業をいよいよ実現した8カ月後、地震が来た。

拭き漆仕上げの長屋の空間を生かしたHosi bosi coffee。深煎りが地元では好まれ、手作りプリンも人気だ=8月1日、輪島市

▽伝えたい「ありがとう」

 ふだんなら30分しかかからない道を7時間かけて店にたどり着くと、屋根の棟が落ち、割れた器が散乱。建物だけは無事だった。一変した街から明かりは消え、「ないものばかりの中でうちは建物があるんだから、何かやらないと、やらないと、と」。当時を思い出すと今も涙が出る。山からくんできた水を温めて床に凍り付いていたガラスの破片にかけて溶かし、必死に掻き出した。紙コップで営業再開したのが昨年の4月だ。

 店は、復旧作業でへとへとになった皆の情報交換の場に。被災した家で置けなくなったピアノが運び込まれ、ピアノ教室が開かれるようにもなった。励みになったのは、全国から届いた支援の声だ。「焙煎機修理を名乗り出てくれた人や豆を買ってくれた方。とにかく必死だったが、大きなものに包まれている感覚があった」。心を込めたコーヒーを通じて、皆に「ありがとう」を伝えたいという。

▽戻ってきたふるさと、「カフェやるぞ」

 オーストラリアに留学していた時に地震が起きたという四十沢空さんは、今年、キッチンカーでエスプレッソを出すカフェ「zawa coffee」を始めた。「最初は一時帰国の予定だったが、実際に(被災した)輪島を見たら、家族のもとへ戻らない選択肢はなかった」。

 カフェは四十沢さんにとって、「元気がもらえて、幸せになれる」場所。将来の夢でもあり、オーストラリアでもカフェで働きながら、お菓子の作り方やコーヒーの淹れ方を学んでいた。戻った輪島で、子供の見守りなどのボランティアをしながら、四十沢さんはその実現に動く。「よし、ここでカフェやるぞ」。

 被災して閉店中だった中心街のカフェにあったエスプレッソマシンを借りた。ボランティア拠点で淹れ始めたが、レストランの横で休眠中のキッチンカーを見つけ、使わせてほしいと依頼。さらに広くコーヒーを届けられる範囲を広げた。輪島には建物の解体で服が汚れた作業員も多い。屋外のキッチンカーで買い、その場で飲めるエスプレッソは好評だ。

zawa coffeeのキッチンカー。実家である「四十沢木材工芸」ギャラリー内での飲食も可能だ=輪島市

▽手作りクッキーに能登の塩

 「震災がなければ、正直、輪島に戻ってくることは考えなかった。カフェは自分にとっての居場所であり、来てもらった人にも少しでも幸せな気分になってほしい」。メニューに加えたのは、オーストラリアで大好きだったミルクチョコレートが入ったクッキー。上に真っ白な能登の塩をかけると、癖になる味わいが出る。

能登の塩が上にかかったチョコチャンククッキー。ほかにも四十沢さん手作りのお菓子メニューがある

 2人は9月、四十沢さんの声かけから、大阪のイベントに出店する。「外に出て輪島を思っている人もいっぱいいる。来てくれる人に出す1杯1杯に、輪島はこれからもっと良くなるという願いを込めたい」と山崎さん。四十沢さんは、「輪島に来たくなるような、『今』を知ってもらうきっかけをつくりたい」という。

 被災直後にほぼゼロとなった輪島のカフェは、Hosi bosi coffee、zawa coffeeを含む7~8店まで増えた。輪島の新しいカフェ文化をつくりながら、訪れる人を待っている。