2024年元旦の大地震から、1年8カ月余りを経た石川県能登半島の輪島。まだ深い爪痕が残る地で前に進み続ける人たちが心に描くのは、自然豊かな風土ではぐくまれてきたふるさとの技、味、暮らしをよみがえらせ、新しい未来を創ること。一歩を踏み出した輪島を現地から伝える。
再び動き出した蔵、力強く前進 <白藤酒造店>
今年6月、輪島市の白藤酒造店で看板銘柄の「奥能登の白菊」が瓶詰・出荷された。2024年元旦の地震で奥能登の酒蔵が軒並み被害を受け、酒造りを断たれてから1年半余り。白藤酒造店は、輪島の酒蔵で初めての「復活」を遂げた。

あの日の激震で、蔵に併設する店舗と住居は全壊。2007年にもあった能登半島地震の際に補強した酒蔵は無事だったものの、酒米を蒸す釜は底から割れ、タンクからは搾り間近の醪(もろみ)が流出するありさまだった。
苦難に満ちた再出発を支えてくれたのは、日本各地の酒造り仲間たちだ。こぼれた醪を一緒に救出して県内の酒蔵に運び、「レスキュー酒」として販売。「能登のお酒を止めるな!」と銘打った共同醸造支援プロジェクトで、福井や奈良などの蔵元に場所を借り、自らの酒造りもつないできた。
▽釜場から立ち上る蒸気
走り回りながら、進めた蔵の復旧。酒造り再開の準備は、昨年9月の豪雨災害による設備納入の遅れも響き、予定通りには進まなかった。「待っていてくれる人がいるから、まずは絶対、お酒を再び世に出したい、と」(3代目の白藤喜一さん)。一新した釜場に火を入れたのは今年3月、気温上、良い酒ができるギリギリのタイミングだ。酒米から立ち上る蒸気を目にした時は、「少しだけ、ほっとした」。

「上品な甘口、穏やかで派手すぎない香り」が特徴の「奥能登の白菊」。蔵の環境や設備、酒米の状況、マンパワー、すべてが変わったなかでの調整は難しく、生産量は以前の半分だ。それでも、蔵は動き出した。愛好家にとって大きな朗報であるばかりでなく、地元や酒造業界に与える勇気も計り知れない。
▽もっと良いものをつくる
自らが杜氏(とうじ)兼オーナーである喜一さん・暁子さん夫妻と蔵人2人の計4人での、丁寧な酒造りが続く。「休みはなかなかとれません。蔵が気になって、見に行ってしまうんです」と、喜一さん。「まだ納得できていない。もっと良いものをつくりたい」。白藤酒造店は、強い気持ちで一歩ずつ前進している。
「朝市は必ずよみがえる」 つなぐ味と技 <南谷良枝商店>
大火災に見舞われて焼け落ちた輪島朝市。営業場所を失った店主らは、わずか3カ月余り後、出張朝市に立ち上がった。石川県内から、遠くは宮城、兵庫、千葉、神奈川まで、開催回数はこの1年半でおよそ180回近くに。その先頭に立ってきた南谷良枝さんが今年6月、金沢で念願の支店を開業した。

▽「まんでうまい」アンテナショップ
「まんでうまい」(能登弁で「めちゃくちゃおいしい」)と書かれたのれんがかかる「南谷良枝商店金沢支店」。能登のイカを使った手作りの塩辛、甘エビのしょうゆ漬け、アオサのつくだ煮のほか、能登の銘菓や工芸品など50種類余りをそろえ、アンテナショップの役割も担う。
輪島現地の本店では、震災で大型投資をして新調したばかりの加工施設がほぼ全壊した。地盤沈下にも見舞われ、まだ公費解体を待つ状態で、復旧のめどは立っていない。それでも、アクセルを緩めることはない。「誰かがやらんと。誰かが(輪島朝市を)発信していかないといけない。それを私がやれるなら」

▽次世代の娘が未来にかける夢
良枝さんと一緒に走り続けるのが、娘の美有さんだ。輪島朝市の出店者で最年少の22歳。海産物を使った加工品づくりは数トンのたるも扱う力仕事だが、出来上がったもののおいしさに魅せられ、母と同じ道に進んだ。
「毎日何をつくろうか、楽しかった」日々が突然閉ざされ、代々受け継ぐ加工品の味の根幹をなす「いしる」(いわしやいかを使った能登の魚醤)はたるから流出した。「このままでは家業も朝市も途絶えてしまう」。支援を訴えることへの葛藤や戸惑いを振り切り、クラウドファンディングに動いた。先が見えない中でつなぐ自分の夢は、家族だけではない、輪島の夢だから。

輪島市の朝市通り周辺では、火災に遭った建物の解体が終わり、今春、道路の復旧に向けた測量が始まった。2027年の再オープンを目標に掲げる。「波の音を聞きながら、お昼は干物やおにぎりを買って食べて、私たちと会話しながらゆっくり過ごしてもらうような場所になれば。これまで以上のものにしたいと(他の出張朝市出店者も)思っている」と良枝さん。
現地でのものづくりも絶対にあきらめない。「やはり輪島の風でつくった干物やなんかは、もう激うまなんですよ」。仲間がいるふるさとは宝物だ。