世の中は明治維新を迎えていたが、浮世絵は衰退の時代に入っていく。その波にあらがった2人の絵師《落合芳幾と月岡芳年》。ともに江戸後期を代表する浮世絵師・歌川国芳の門下生ながらライバル関係にあった。
その2人に焦点を当てた展覧会「芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル」が4月9日(日)まで三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)で開催中だ。
芳幾と芳年の師匠である国芳は遅咲きだった。『水滸伝』に取材した「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズが評判となる。奇抜な発想の風刺画、ダイナミックな武者絵などを大判3枚続きの画面に展開して人気を博す。名所絵、美人画、役者絵や戯画と幅広く手掛けた。国芳は幕府批判の疑いで奉行所からにらまれていたが、そうした規制をかいくぐって風刺を続けて、江戸庶民はそんな反骨心のある国芳に拍手を送っていた。
1833(天保4)年生まれの芳幾が国芳に弟子入りしたのは17-18歳の頃。1855年に江戸を襲った大地震の惨状を写した錦絵で名声を得る。国芳が没した時には弟子を代表して死絵を担当した。戯作者や好事家と交流し、明治以降はこうした仲間たちとの事業に携わることになる。1872(明治5)年、東京で初めての日刊新聞で現在の毎日新聞の源流にあたる、『東京日日新聞』の創刊に参画して、記事を錦絵にした。その3年後に創刊された『平仮名絵入新聞』に挿絵を描いたりすることによって転身を図った。
芳年は1839(天保10)年、生まれ。12歳で国芳に入門。師匠を踏襲して武者絵を多く描くが、スランプに陥り神経を病んでしまう。回復を機に、時事的な作品などを精力的に手掛ける。新機軸をもたらした武者絵や歴史画には、明治政府による皇国史観の反映もみられる。芳幾に対抗して『郵便報知新聞』の新聞錦絵にも携わった。晩年には「風俗三十二相」など美人画の代表作を描き、また100枚から成る大規模なシリーズで月にちなんだ歴史上の人物を取り上げた「月百姿」などの静謐な作風で江戸回帰を志向した。
ライバル関係にあった二人だが、「英名二十八衆句」を共作した。歌舞伎などに現れる凄惨(せいさん)な場面を、14図ずつ分担して描いた。いわゆる血みどろ絵を代表する浮世絵として有名。これらは江戸から明治に至る不穏な世相を反映したものといわれている。
会期中、一部の作品は展示替えを行う。開館時間は午前10時から午後6時まで(金曜日と会期最終週平日、第2水曜日は午後9時まで)。休館日は3月6日(月)、13日(月)、20日(月)。観覧料は一般1900円、高校・大学生1000円。日時指定予約は不要。問い合わせは050-5541-8600(ハローダイヤル)まで。