「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」
これは劇作家・寺山修司の代表的な短歌のひとつ。1957年初出である。
それから10年後、寺山が構成を担当し、TBSドキュメンタリー史上最大の問題作となる番組が製作された。街頭インタビューのみで構成された『日の丸』である。
街ゆく人々に「日の丸の赤は何を意味していますか?」、「あなたは国と家族どちらを愛していますか?」など、普段考えないような本質に迫る挑発的な質問を次々と投げかけた。
初の建国記念日の2日前、1967年2月9日に放送されたが、その直後から抗議が殺到。閣議でも偏向番組、日の丸への侮辱として問題視され、郵政省がTBSを調査するに至った。
「現代に同じ質問をしたら、果たして?」―そう思ったTBSドラマ制作部所属の佐井大紀(さい・だいき)は、この伝説的番組を半世紀の時を経て、よみがえらせた。
その作品『日の丸 寺山修司40年目の挑発』(2023年/監督:佐井大紀/製作:TBSテレビ/配給:KADOKAWA/宣伝:KICCORIT) が、2月24日(金)に角川シネマ有楽町などで公開される。寺山が亡くなってから40年目に、彼の遺志を世に問い直す問題作だ。
1967年。それは東京オリンピックの3年後、また、その3年後の1970年には大阪万博を控える、高度経済成長の真っただ中。2022年もまた、前年に東京オリンピック・パラリンピックが開催され、3年後の2025年には大阪万博を控えていた。
1960年代当時、ベトナム戦争という不安が世界を覆っていた一方、近年は、ロシアによるウクライナ侵攻やコロナパンデミックの脅威が世界を脅かし続けている。
スマホはもちろんPCさえも存在していなかった1967年とスマホが普及しSNSが主なコミュニケーション手段となった2022年。科学技術の進歩はありつつも、偶然にも類似した2つの時代を舞台に、人々の胸の内にあった声を対比させていく。
1994年生まれの佐井監督は、「1967年と2022年という時代が運命的に類似していると暗示をかけられた私は、今こそ『日の丸』を試みて、日本の姿、日本人の姿を浮かび上がらせるべきなのだと妙な確信を得てしまったのです」と語った。
今野勉(こんの・つとむ)・テレビマンユニオン最高顧問はいう。「(日本人は)自分たちの歴史や文化を真っ当に考えさせられる教育を受けてこなかった」、「大衆こそ保守といわれる。が、水があっても石を投げ込んで波紋が広がって初めて水があることが分かる」。
寺山はテレビドキュメンタリー番組『日の丸』が問題化した後、テレビから演劇に軸足を移してゆく。1967年に劇団「天井桟敷」を結成、数々の前衛演劇を発表。その後も映画監督として、「書を捨てよ 町へ出よう」(1971) を手がけるなど、一つの分野にとらわれない活躍を見せるが、1983年、47才の若さでこの世を去った。 公開劇場など詳細は、公式サイト映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』まで。