30年以内に70~80%の確率で発生するとされている南海トラフ地震。政府の試算によると、実際に地震が起きた場合は最大で30メートル超の津波が押し寄せるという。
いつ起こるか分からない地震や津波。もしあなたが海水浴を楽しんでいるときに巨大な津波が襲ってきたら、どうしますか?
家族連れらで毎夏にぎわう海水浴場や若いカップルの人気スポットとして知られる「恋人岬」を有する海沿いの観光地・静岡県伊豆市では観光地の安全と魅力を増すための津波対策、防災活動に真剣に取り組んでいる。観光と防災の両立をどうやって進めるか―。11月5日の「世界津波の日」にちなんで開かれた座談会で、山本順三・国土強靱化担当相や、伊豆市で防災活動に取り組む市民らが幅広い観点から意見交換した。
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海沿いのまち
座談会には、山本順三・国土強靱(きょうじん)化担当相のほか、駿河湾に面した「津波災害特別警戒区域(オレンジゾーン)」の静岡県伊豆市土肥(とい)地区で、観光地としての価値を高めながら津波に強いまちづくりを進める住民の西川賀己さん、野毛貴登さん、国土強靱化対策を政府に助言する藤井聡・内閣官房参与が参加した。進行役はフリーアナウンサー戸丸彰子さんが務めた。
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稲むらの火
―なぜ11月5日が「世界津波の日」になったのですか。
山本 日本が提唱して2015年の国連総会で11月5日を世界津波の日とすることが決まった。11月5日は1854年(安政元年)に日本で安政南海地震が起きた日。その日、紀州藩広村(現在の和歌山県広川町)は大津波に襲われたが、地元の実業家・浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)のとっさの機転でたくさんの村人の命が救われた。
高台にいた梧陵は屋外に積んでいた稲の束(稲むら)に火を付けて避難先を知らせ、暗闇の中を逃げ惑う村人を安全な高台に誘導した。
11月5日が世界津波の日に選ばれたのはこの梧陵の逸話にちなむ。世界津波の日が世界中の人々の津波への関心を高め、各国が万全の対策を取ることを期待したい。
―2012年に全面施行された「津波防災地域づくり法」で、各都道府県は災害弱者の避難対策が特に必要な地域を地元市町村の意向を踏まえオレンジゾーンに指定できることになり、伊豆市土肥地区は今年3月、これに全国で初めて指定された。住民の反応は。
西川 伊豆市が静岡県の指定を認める意向を示した当初は、せっかくの観光地を「危険な地域」という色眼鏡で見られる懸念から指定に後ろ向きの住民が多かった。
しかし、住民意見交換会などで議論を重ねていく中で、地区の若者に津波のリスクを正しく伝えることが大事だと住民の多くが理解した。指定をマイナスとして受け止めるのではなく、むしろ前向きに捉え、津波対策を強化して安心安全に暮らし、過ごせる魅力的な観光地としてアピールするプラス要素に変えていこうと発想を転換させた。若者の都市への流出に歯止めをかけるためにも若者が暮らし続ける魅力的なまちにしていきたい。
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夜に避難訓練
―指定後に住民が始めた新たな取り組みは。
西川 これまで津波の避難訓練は昼間にやっていたが夜間の訓練も増やした。津波は夜もやって来る。午後7時に集まり、避難路を歩くといろいろな不備が見つかる。夜真っ暗になる場所にはソーラー式の街灯を付けた。住民の防災意識は確実に高まっている。
―温泉や恋人岬など土肥地区には魅力的な観光資源が多い。防災と観光を両立させる方策は。
野毛 われわれ観光業者は、指定の動きが出た当初、津波が来る前に風評被害で観光業が駄目になると正直思ったが、最終的には指定を認める意見でまとまった。安心安全を観光地への誘客ツールとして活用したい。
具体的な取り組みはこれからだが、観光業者側のアイデアの一つに、津波から命を守る緊急避難所的な役割の「津波避難タワー」を海水浴客が多く訪れる海沿いの景勝地に造る構想がある。
―タワーは住民だけでなく、観光客の避難場所にもなるわけですね。
野毛 タワーには食堂など商業施設を併設し、足湯などの温泉施設を設けてもよい。年間8万人を超える海水浴客が訪れるので、普段は観光客を楽しませ、災害時は命を救う。実現すれば、美しい海岸線にそびえ立つ、防災と観光の両立を象徴する土肥地区の“ランドマーク”になるはずだ。
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発想の転換
―発想の転換の一番の決め手は。
野毛 やっぱり対話。民と官が腹を割って正面から話し合うことで不安を解消できた。
―お二人の発想の転換をどう思いますか。
山本 ここに来るまでに大変な議論、苦労があったと推察する。災害に強いまちづくりを前に進め、住民はもとより観光客にとっても魅力的な観光地にしていくという発想の転換をして地域の先頭に立っているお二人と住民の皆さんに心から敬意を表したい。
―藤井さんのお考えは。
藤井 指定は任意なのに、観光への懸念がある中で、わざわざ手を挙げて指定を受けるに至った思いを聞き感銘を受けた。住民でよく話し合い、最悪の事態から目をそらすことなく、しっかり津波のリスクを見据えた上で取り組んでいる。
こういう国土強靱化に向けての基本的な行動を、津波だけではなく、大雪や地震、洪水、高潮などさまざまな災害リスクに直面する地域住民や自治体、企業など各界各層に、どうしたら広げていけるかを政府はしっかり考えていかなければいけない。
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防災リーダー
―16年から毎年開かれている「世界津波の日」高校生サミット(今年は10月31日と11月1日に和歌山県で開催)の意義と次代の防災を担う若者への期待をお聞かせください。
山本 子どもたちの防災意識を高めることは重要な視点。高校生サミットは、将来の防災リーダーの育成が主な目的だ。海外の島国の高校生らを日本に招き、日本の高校生を交えて同世代の国際交流と各国の防災対策への理解を深めてもらう。
―土肥地区の若者、子どもたちの防災意識は。
野毛 高校生はもちろん、小学生でも防災意識を持つことは大事だ。子どもたちは親と先生から、東日本大震災などの教訓を教わり、防災意識は高い。
西川 中学生は授業の一環で地区の防災対策をまとめる意見交換会に参加した。われわれの取り組みを若い人が引き継ぎ、新たな決め事も加えてさらに前に進んでほしい。
―最後に一言。
西川 土肥地区ではオレンジゾーンを「海のまち安全創出エリア」と名付けた。防災上の区域の名称の工夫が必要ではないか。
野毛 全国初の指定を追い風にしたい。同じような観光地の参考にもなる具体的な“足跡”を残したい。
藤井 東日本大震災は11年3月11日午後2時46分に起きた。2時45分の時点では誰も津波が来ると思っていなかった。われわれは今ここで安全な時間を過ごしているが、1分後には津波が来るかもしれない。このような認識をつい忘れてしまうが、少なくとも年1回の世界津波の日には思い出していただきたい。災害はいつ来るか分からないということを肝に銘じてほしい。
山本 東日本大震災では死者・行方不明者が1万8千人を超え、大津波でたくさんの人が亡くなった。私は被災直後の現地に行き、津波の恐ろしさを体感した。日本は過去、大きな津波に何度も襲われており、津波の水位を示す石碑も各地にあるが、年月とともに忘れ去られる。その結果、津波への対応が遅れてしまう。
過去の津波災害を知るお年寄りの皆さんが若い人たちにその事実をしっかり語り継いでいく必要がある。防災・減災、国土強靱化に向けてハード面の整備はもちろん、土肥地区の取り組みを全国に紹介するなど防災意識を育むソフト面の対策についても全力を傾けていく。
【世界津波の日】
2011年3月11日の東日本大震災の津波被害を受け、日本は同年6月、防災意識の向上のため、法律で11月5日を「津波防災の日」とした。同じ11月5日を「世界津波の日」としたのは15年12月の国連総会。提唱者の日本を含む世界142カ国が共同提案し、全会一致で採択された。日にちの由来である浜口梧陵の逸話「稲むらの火」は現在も語り継がれている。
【略歴】山本順三氏(やまもと・じゅんぞう)早大卒。2004年参院初当選、参院当選3回。18年10月から防災担当・国土強靱(きょうじん)化担当相。愛媛県出身。64歳▽藤井聡氏(ふじい・さとし)京大大学院修了、工学博士。09年京大大学院教授。12年から内閣官房参与。奈良県出身。50歳▽西川賀己氏(にしかわ・よしみ)建築業。ジャパン・レジリエンス・アワード2018グランプリを受賞した土肥地区の防災活動で主導的役割を果たす。静岡県出身。49歳▽野毛貴登氏(のげ・たかと)土肥温泉旅館協同組合理事長。土肥小中一貫校PTA会長。牧水荘土肥館代表取締役。静岡県出身。49歳。